贈る言葉 (や行)

東京アナウンスセミナー卒業生が後輩へ向けて贈るメッセージを紹介します。(敬称略)

矢田 雄二郎 【2期生】

寒い季節がやってまいりました。寒い中の自転車の運転など、お体のほうは大丈夫ですか?2002 年10 月30 日、読売ジャイアンツ日本一の日に約9 割の内定、2002 年11 月7 日に放送局から正式に内定通知を頂いて1週間が経ちました。ようやく気持ちが落ち着き始めたので、改めて感謝の気持ちを込め、父でもあり先生でもある永井先生にお手紙を書こうと思いました。永井先生とお会いして約2年、こうしてお手紙することは初めてかもしれません。少し照れくさいのですが、どうしても書きたくなり筆を取らせて頂きました。お忙しいかと思いますが、目を通して頂ければ幸いです。僕は放送部や研究会に在籍したこともない人間で、アナウンスについて全く無知でした。むしろマスコミに関し何も知らない状態・「ただしゃべる仕事がしたい」という状態で恐る恐る成人式用のスーツを着込み、東京アナウンスセミナーに行きました。アナウンスの学校というのはどんな所なのだろうか、凄まじい不安で何度も駅のトイレでネクタイをしめなおしたことを今でも覚えています。それから約2年が経ちました。思えば永井先生はいつもいつもいつもいつも僕の味方でいてくれました。(もちろん全生徒にですが)何度も最終試験に落ちた僕、見えない未来に対して落ち込み、ふぬけてなんかげつもアナウンスセミナーにこなかった僕、あらゆる矢田雄二郎を応援して下さいました。募集が出たときには、自分で探さなくてはならないのに必ず電話を下さいました。倉敷さんがアナウンスセミナーにいらしていた時にも連絡を下さり、ふぬけていた僕に、自らの言葉ではなく時には陰になり、「あきらめるな」と僕に伝えて下さいました。そしてこの夏にも実況のチャンスを与えてくださいました。永井先生は、実は僕よりも僕がアナウンサーになることをあきらめていませんでした。本当に本当にありがとうございました。正直に言いますと、ありがとう、という一言では、気持ちを確実に言い表せません。こういう気持ちの時に何と文章にすればよいか、文才のない僕にはわからないのです。ですから一言で終わらせてしまうつもりはありません。僕は「永井先生が生んだ名アナウンサー」,「永井先生の生んだ熱い魂を持った人間」、「永井先生だからこそ生むことができた人間」に必ずなります。そして先生は庄やで童話に関して「自分の生きた証が欲しいですね。」とおっしゃっていましたが、僕やみんなが必ず先生の生きた証になれるよう頑張ります。何年かかるかはわかりませんが、自分なりの恩返しを必ずさせて頂きます。男に二言はありません。永井先生から教わったこと、数多くあります。技術だけではない大切なこと、人と人とのつながり・・・東京にいる残りの月日に、そのことをアナウンスセミナーの後輩や仲間を含め多くの人に伝えられればと思います。(しかし僕は目も細いですし、原稿読みもひどいです。ですから伝えて欲しいと思う人間もないと思いますが)特にアナウンスセミナーの後輩には自分が2年間執念でやっただけに、「長い冬を過ごしても春は必ずくる」ことだったり、アナウンサーになるのを「あきらめる事をあきらめる」ことだったりがみんなに伝わればいいなと思います。長々と書かせて頂きましたが、これらが今僕の思う気持ちです。東京にいる残り数ヶ月、「もう庄やで先生やみんなと1年に何度もお酒が飲めないのか・・・」と寂しくもなりますが,必死にこれからまたアナウンスセミナーで放送人、そして人間としての修行をさせて頂きます。(今は卒論に必死です!)冬がやってまいりました。寒い中の自転車など、お体大変でしょうが、くれぐれもご自愛下さい。本当に2年間ありがとうございました。永井先生、先生のおかげで矢田雄二郎は今、最高に幸せです。 "熱く,いや、熱くるしく"
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矢内 環 【3期生】

永井先生、先生と初めてお会いしたのは, 大学三年生の一月のことでした。 その頃の私は在京キー局に三社連続で書類落ちし、もう「どうしていいかわからない」状況でした。困り果てた私はTBSで働く大学の先輩に電話をかけました。先輩といっても就職課を通して紹介していただいた方で全く面識のない相手。緊張のあまり電話を持つ手も声も震えたのを今でも覚えています。 しかし驚いたことに先輩は「どうぞ会いに来て下さい。会って話せば気持ちも楽になるでしょう」そう言ってくれました。ビックハット(TBS)で緊張した面持ちの私を優しい笑顔で出迎えてくれたのその人は、永井先生の教え子でした。「あの先輩が信頼している先生だったら信じられる」そう思ってアナウンスセミナーの門を叩いた一月。電話に出た先生は「どうぞ、いつでもいらして下さい」と先輩と同じ言葉をかけて下さいました。 アナセミに入ってから二週間が過ぎたある日、私は先生に質問をしました。「(TBSで会った)先輩は目がキラキラしていてオーラがあって、自分と同じ人間とは思えませんでした。やっぱりアナウンサーになる人は、最初から違うんでしょうか」と。 先生はいつもと同じ落ち着いた声と、少し鋭い目をこちらに向けておっしゃいました。「アナウンサーはアナウンサーという職業に生まれてくる訳ではありません。アナウンサーというのは数多くある職業の中の一つであって。あの方(先輩のこと)のにはスイッチがついていて『よし、キラキラさせるぞ』とスイッチを押して目を輝かせている訳ではないでしょう。あの方だって努力されてキャスターとして働いてらっしゃるんです。アナウンサーになるのに必要なのは前向きです」先生は沢山の生徒をかかえてお忙しいのにもかかわらず、真剣に私の悩みを受けとめ、ユーモアを交えながら答えて下さいました。あの日のこと、絶対に忘れません。 先生の一言で気持ちを切り換え、それからというもの私の元には、キー局、準キー、名古屋の局から書類審査通過を知らせる手紙が次々に届くようになり、四月のNHKの試験ではカメラテストに残るまでになりました。受けても受けても内定という出口の見えないアナ受験は楽しいことばかりでなく、髪の毛がごっそり抜けてしまう程、精神的にまいってしまったこともありましたが、永井先生のもとに集まるアナセミのたちの姿や言葉に励まされ(いえ、助けられ)今,私はテレビ局のアナウンサーとして働いています。
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矢部 順子 【3期生】

私が今、こうしてアナウンサーという魅力的な仕事をしているのは、永井先生のおかげです。私は就職活動を本格的に始めたのが遅く、大学院に進学してからでした。院に入学してすぐ、5 月ごろいったん通ったものの、授業などが忙しく、アナウンスセミナーから足が遠のいてしまっていました。そしてあっという間に3 ヶ月が経ち、季節はもう秋に。「お元気ですか?」そんなある日、永井先生からお電話がありました。なんで先生は私なんかのことを覚えていてくれたんだろうと胸がいっぱいになりました。そのときから私は永井先生についていこうと決めました。アナウンス受験が始まっても、全然決まらずに落ち込んでいたころ、今の会社の募集がありました。新卒採用で受けていた私は、今回の既卒採用の募集に応募しないつもりでした。でも、先生に「矢部さんは大学は卒業しているわけですから、受けた方がいいですよ」と勧められ、内定を頂くことができました。院は辞めてしまいましたが、先生のひとことで私は目指していた道を開けました。本当に言葉では言い表せません。ありがとうございます。
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山田 修作 【2期生】

自分は将来何になるんだろう?本気でそのことを考えようとしないまま、何となく、理系だからということで大学院に進みました。小学生のときから、アナウンサーになりたいという夢はあったのですが、「あんなのは遠い世界」だと、勝手に決めつけていました。しかし、夢があるのに何も手をつけないまま諦めるなんて、絶対後悔すると思い、アナウンサーになると決意しました。しかし、アナウンサー受験なんて簡単にうまくいくもんじゃない。キー局の試験があっという間に終わり、本当にアナウンサーなんてなれるのだろうかと、途方に暮れていた大学院1年の2月、友達から、「アナセミに来ない?」と誘われ、門をたたきました。まず、入って驚いたのは、教室のコルクボードに貼ってある、たくさんの方達の写真。みんなその手には、ケチャップで「内定おめでとう」と書かれてある “オムレツ"が。みんなうれしそうな笑顔。「自分もこれらの写真の中の1人になりたい!」アナウンサーになりたい気持ちは強まりました。アナセミに通い始めて数日経ったとき、永井先生から、「山田さんは絶対アナウンサーになれます」と言われました。なんか催眠術にかけられた気分でした。永井先生がおっしゃってくださる一言一言、変にその言葉が自信となるんです。採用試験に落ちても、この局は自分に合わなかったんだと、常に前向きな考えが出来るようになり、先が真っ暗だったところに光がどんどん射してくるようになりました。そして、今勤めている局に内定できたのです。夢は諦めてはいけない、夢はかなうんです。でも1人では、絶対無理でした。一緒に夢に向かってがんばる仲間、そして暖かい言葉でもって支えてくださる永井先生がいたからこそ、今の自分があるんだと思っています。たくさんの笑顔に出会えるアナセミ、そして永井先生に大変感謝しています。永井先生、あまり無理をなさらずに、お体にお気をつけ下さい。
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山田 舞 【2期生】

最終試験に落ちて、募集のある局も少なくなってきた6月。そんなとき、アナウンスセミナーに来ました。そこには、同じように苦しんで、それでもアナウンサーになりたい!!という仲間がたくさんいました。その日から毎日、永井先生のもとに通いました。毎回、同じところでつまずいて試験に失敗していましたが、理由など教えてもらえることもなく、同じ失敗を繰り返していた私でしたが、永井先生の指導を受けていく中で、自分の悪い癖、そして殻を破れなかった自分のPR も、少しずつですが変化していったのが自分でも分かりました。そして「自分」を持つことが出来たとき、面接では前を向き、一人一人の面接官の顔を見て、堂々とそして自分らしく、楽しく面接を受けることが出来るようにようになりました。永井先生の「大丈夫ですよ!!」この一声で自信を持ち、内定を頂くことが出来ました。アナウンス試験は、思った以上に辛いものです。一人では諦めたくなったり、辛くなったりもします。そんなとき一緒に頑張る仲間がいること、受かったときに自分のように喜んでくれる仲間が出来たこと、そして友達の頑張る姿を心から応援できること。仲間は何より大切です。そしてアナウンスセミナーには、そんな仲間がたくさんいます。
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山本 隆弥 【8期生】

私が東京アナウンスセミナーを知ったのはキー局の無料アナウンスセミナーで知り合った友人がきっかけでした。セミナーが終わった後、友人に誘われアナウンスセミナーに足を運びました。初めて教室に入った時、アナセミ生のアナウンサーに対する意識の高さに圧倒され、この先の自分に不安を抱きました。そんな時、永井先生はお会いして初日にもかかわらず「これから一緒に頑張っていきましょう」とあたたかいお言葉を私に投げかけてくれました。永井先生のその言葉を信じて何も迷うことなくアナセミ入学を決めました。その言葉は本当のものでした。入学してから自己PR やフリートーク、エントリーシートを試験の直前まで丁寧にみてもらうことができ、授業の時間以外でも敬語など言葉遣いに対して指摘してくさだいました。永井先生の生徒を包み込むような優しさを含んだ厳しい指導を受けてきたからこそ今の磨かれた自分があると思います。キー局と準キー局の最終試験前日には、お守りの画像と相模鉄道の「ゆめが希望が切符」の画像付きメールをいただきました。最終試験落ちを経験した私にとって本当に感激してしまい、試験中は携帯電話の待受け画面に設定して自分を励ましていました。そしてついに2006 年12月19 日、小学校からの夢であったアナウンサーへの切符を手に入れた時、電話で最初に真っ先に報告したのが永井先生でした。それだけ私にとって永井先生は両親と同じ、ましてや両親以上の神様のような存在になっていたのです。キー局アナウンサー試験直前に入学したにもかかわらず、アナセミ生の一人としていつも温かく見守ってくれた永井先生に本当に感謝しています。さらに親切に接してくれたアナセミの先輩の方々、互いに意識を高めあい、励ましあってきた8 期生の同期にも感謝しています!どんなに月日が流れても初心の時のことを忘れず「明るく、心を持って、一生懸命」という永井先生の言葉を胸に頑張っていきます。これからもよろしくお願いします。
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山本 悠美子 【6期生】

「人を愛せ。人のために生きられる人であれば内定と信じています!」これは、私が試験前日に路頭に迷っていたとき、永井先生が送ってくださった写メールのオムレツの言葉です。私が東京アナウンスセミナーで一番学んだことは「愛」です。メールを頂いたときはお恥ずかしいことに、正直あまり実感が持てませんでした。しかし、私に対して本当に「愛」を持って接してくださっているということだけは痛いほどに強く感じ、その心強さと優しさが、私を勇気づけてくれました。その言葉の意味は、日々、私の心に響いてきます。私に欠けていた「愛」というものを先生自らが示してくださったのだと感じています。先生はいつも、試験日前日に心温まるエールと花の写メールを送ってくださいました。私は部活の大会などが続いていた時期で、アナウンスセミナーにもなかなか顔を出せずにいました。にもかかわらず、永井先生は私に本当の家族のような愛で常に接してくださり、いつも心強いお言葉で私を支えてくださいました。本当にありがとうございました。そして、これからもどうぞよろしくお願いいたします。いまの私は永井先生をはじめ、アナウンスセミナーの先輩、後輩、そして同期との出会いがなければ存在しないと確信しています。
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横田 光幸 【3期生】

どうしてもなりたかったアナウンサー。大学を留年したものの、本命にしていた局に落ちどうしたらいいのか分からなかった時でした。しかしアナウンスセミナーにそして永井先生に出会い、本当に納得できるまで勉強できる、先生についていこう、そう決め愛知に住んでいる私は中目黒のアパートに引っ越しました。アナウンスセミナーまで徒歩10 分、4畳半風呂なしトイレ共同のアパート。風呂は100円で3分のお湯が出るコインシャワー、テレビと冷蔵庫と扇風機しかない部屋から毎日足を運び、カウンセリングを受け庄やに通いました。納得いくまで発声練習をし、先生の指導を受け、仲間と悩みを打ち明けあう毎日。本当に充実した日々でした。その生活が始まって一ヶ月後、内定を頂きました。前を向いて頑張りつづけたことができたことそれが私にとって一番必要だったとなのかもしれません。最終面接の前日、試験地から先生に電話をすると「大丈夫ですよ。いまからみんなに代わりますね」とみんなからの応援をもらいました。今まで試験を受けていてこんなに心強かったことはありませんでした。先生がそしてアナセミの仲間がまさに家族です。内定祝いのオムレツの味は、鼻が詰まって味もわからなかったはずですが、本当に本当においしかったです。あの日のオムレツの味と、先生への感謝は忘れません。明るく、心をもって、一生懸命にそして前向きにがんばってきます!
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吉田 和史 【社会人】

「人生を変える」そう思って始めたアナウンサーへの挑戦でしたが、最初はなかなかうまく行きませんでした。30歳目前にして「システムエンジニア」という全く違う業種から「アナウンサー」への転職活動。以前通っていたアナウンス学校では、自分の情熱に学校側がついてこれず、「ただのカルチャースクールでは困るんだ!」と思いながらも、半年間勉強していました。そんな時、手にしたのが永井先生の本でした。そこには、既卒でアナウンサーを目指し、内定を取った先輩のお話しや、アナウンサーとして、人として生きるために大切なことが書かれてあり、「この学校なら、自分の情熱をわかってもらえるかも知れない」と思い、勇気を持ってアナセミの門を叩きました。永井先生は、現役の学生でも社会人でも分け隔てなく、粘り強く指導してくださいます。社会人経験があるからといって、特別扱いはしません。新卒でとりあえず入社した会社で、あっという間に6年目に突入し課長になっていた私にとって、自分の夢にひたむきな学生の方の姿が、本当にまぶしく見えました。「自分も何も変わらないはずだ、一緒に頑張ろう」「内定が出るまで、アナ受験を続けよう」という決心がつきました。仕事が終わった後、急いで会社のパソコンでエントリーシートや作文を書き、日が変わりそうな時間に庄やさんに行くことも一回や二回ではありませんでした。そのたび先生は、遅い時間にもかかわらずチェックしていただき、「大丈夫ですよ」と励ましてくださいました。また、年の離れた私に、アナセミの仲間は壁を作らず、受け入れてくださいました。 こんな私でもアナセミの一員ということが本当に嬉しくて、同じ夢を追う仲間の存在が、どんなに仕事が忙しくても、睡眠時間が少なくても、アナウンサー受験を続ける力の源、そして日々、生きる源になりました。私のアナウンサー受験は、永井先生、OB・OGの皆様、そして、アナセミの生徒の皆様に支えられ、一年間、全力疾走したように思います。社会人として限られた時間の中、それができたのは、全力疾走できる環境がアナセミにはあり、そして同じように夢を追う仲間がいたからだと思っています。皆様、本当にありがとうございました。そして、これからアナウンサーを目指す皆様、自分の夢に向かって絶対に諦めないで、永井先生を信じて、自分を信じて、仲間と共にアナセミで頑張ってください。永井先生、お体にお気を付けください。そして、これからも末永くよろしくお願いいたします。私は、沖縄の南の島で「心ある言葉を放つ」アナウンサーを目指し、一生懸命努力します。「念ずれば花開く」
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吉田 鉄太郎 【社会人】

世界一の女の子を取材した。私が勤める局のある高知県でフェンシングに励む小学生だ。一流の選手を目指している彼女の強さの秘密を監督に聞いた。その答えは「努力する才能がある」とのこと。この言葉にアナウンスセミナーの永井先生の姿が思い出された。大学既卒で特にアナウンスの経験もない私が、先生のもとを尋ねたのは25歳の時。アナウンサーになりたいという気持ちしかなかった私を「念ずれば花開きます!」と常に励まし、指導して頂いた。そして共にアナウンサー受験に挑んだ仲間たち。特に勇気付けられたのは私と同年代だったり年上の方もいたことだ。みんなに共通していたのはアガリ症だったりうまく発音できなかったりという自分の弱点を、努力で克服しようという人達ばかりだったこと。そんな環境のなかで、本当にアナウンサーになれるのかという自分の不安な気持ちが「必ずなる!」と前向きになれた。そして今でも私の心の支えとなっているのは、先生が私達生徒に注いで下さった愛だ。「明るく、心を持って、一生懸命に」先生の言葉は現場に出ることの出来た今でも自分の心を奮い立たせてくれる。自分の夢のために努力しつづけることの大切さ。そして人のために、何が出来るかといつも自分に問いつづける心。アナウンス技術だけではない大切なものを教えてくれたこの教室の出身であることは、自分のなによりの誇りだ。
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吉田 奈央 【7期生】

インターネットの掲示板で「東京アナウンスセミナー」の書き込みを偶然見かけて、飛び込んだ、通称「アナセミ」。最初は先輩方のカウンセリングの様子に圧倒されて、自分には無理なのではないかという不安さえ抱きました。普通には話せていると思っていた自分の話し方も、言われてみれば欠点だらけ。声が小さい、低い音がでない、語尾は伸びる、ぼそぼそ話しているなど、はっきりいって前途多難だったのです。しかし私の欠点を、永井先生ははっきりと指摘してくださった上で、「一緒に頑張りましょう」と言ってくださいました。また受験までの長い道のりの中で、挫けそうになったり、落ち込んだりしたとき、先生は私の様子を察してか、必ずそっと声をかけて励ましてくださいました。アナセミでできた友達や先輩もいつも、アドバイスや温かい応援をしてくれました。先生や仲間の言葉に何度救われたかわかりません。そのおかげで今の自分があるのだなと思います。そして、アナウンス技術だけではなく、気遣い、言葉遣い、人とのつながり…など、どんなときも心をもって接することの大切さに改めて気付くことのできるアナセミは本当に貴重な場所だったと思います。アナウンス技術も人間としてもまだまだ未熟な私ですが、アナセミで学ばせて頂いたことで、いろいろな意味で成長させてもらったと感じています。これからも、「明るく、心をもって、一生懸命」という言葉を胸に、日々成長していける人でありたいと思います。永井先生を始め、アナセミの皆さん、本当にありがとうございました!そしてこれからも宜しくお願い致します。
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