贈る言葉 (は行)
東京アナウンスセミナー卒業生が後輩へ向けて贈るメッセージを紹介します。(敬称略)
- 馬崎 加奈子 【社会人】
- 枦山 南美 【2期生】
- 早坂 牧子 【5期生】
- 原渕 由布奈 【6期生】
- 平松 奈々 【7期生】
- 藤本 晶子 【5期生】
- 外城 美江 【社会人】
- 堀越 純子【2期生】
- 堀野 麻由【9期生】
- 本田 朋子【6期生】
馬崎 加奈子 【社会人】
小学生の頃からアナウンサーになりたいと思っていました。しかし情けない話ですが、大学生の就職活動の頃、頭の隅に「アナウンサーという仕事を目指したい」という気持ちがあったのにもかかわらず、「どうせ私なんてなれない」と多くの優秀な人達が揃うアナウンサー職の就職前線にでていく自信もなかったのです。今ふりかえれば、学生の頃自分の人生について、私はどう生きていきたいのか考えなかったのだと思います。就職して2年くらいが過ぎ、目標もなく生きているのに生きているような気がしない毎日をどうにかしたい、と思うようになりました。そして「駄目でもいい、自分が本当にやってみたい事に挑戦したい」と思い、遅いスタートでしたが私はどうすればアナウンサーになれるのか考え始めました。「いつでも見学にいらしてください」。永井先生は、宮崎から来た私にこう言ってくださいました。そして宮崎から東京に週末通うようになりました。それから私は会社を辞め、東京に出て働きながら8ヶ月間アナウンスセミナーに毎日のように通いました。そして今は、地元宮崎のケーブルテレビ局で働いています。現在の職場では、話すこと、取材、原稿作成、編集そのほか番組制作に関わる事全てをやっています。今私を支えているのは、永井先生、先生達、そして生徒さん達から学んだ事です。永井先生は、伝え手であるアナウンサーを育てることに本当に全身全霊で取り組んでいらっしゃいます。授業で指導してくださる先生方は、アナウンス技術だけでなく、「放送とは何か、伝え手とは何か」ということを教えてくださいます。そして、そこでここで学ぶ生徒さん達は同じ道を目指しながら互いに影響しあい学んでいます。宮崎から学校見学に訪れた際、「がんばりましょう!」と言って両手でしっかりと握手してくださった永井先生、あの時の先生の手のあたたかみ、お言葉を私は忘れません。先生にお会いできた事、東京アナウンスセミナーで学んだことは私の人生にとってはとても大きな出来事でした。これからもこの事を支えにしていきたいと思います。もし、私のようにアナウンサーを目指したいけど、自信がなかったり今一歩踏み出せないという人がいたら、一度東京アナウンスセミナーの門をたたいてみてください。きっと何か見つけられると思います。
page top
枦山 南美 【2期生】
東京アナウンスセミナーでの1年半は私の人生においてとても大きなものでした。「アナウンサーになりたい!」と思って勤めていた会社を辞め、大学に編入しアナウンス受験を受け続けていたあの頃。受けては落ち、の繰り返しで私はこれでよかったのかなと弱気になったことも度々ありました。しかしそのたびに励ましてくださったのが、アナセミの仲間や永井譲治先生。あのときもし一人だったらくじけていましたよ、きっと。卒業間近で内定が出ていなくても、仲間たちの内定も心から「よかった!おめでとう!」と喜べちゃうんですよね。アナセミはそういうアットホームな雰囲気を持っているところです。自分はひとりじゃないって思わせてくれるところです。私がこんな気持ちになれたのもアナセミの仲間や永井先生のおかげだと心から感謝しています。受験を通していろんな場所へ行き、多くの人と出会えたことは一生の宝物です。今思うと、すべてに意味があったと感じます。まだ受け続けているみなさんも、自分を信じて頑張って欲しいです。先生がおっしゃった『念じれば花開く』まだまだつぼみの私はいつまでもこの言葉を胸にアナウンサーを目指していたあの頃の気持ちを忘れずに前進したいと思っています。永井先生、心から感謝しています。どうぞこれからもお体に気をつけてお過ごしくださいね。
page top
早坂 牧子 【5期生】
「夢は諦めなければ叶う」よく耳にするこの言葉。東京アナウンスセミナー(以下アナセミ)に初めて訪れた大学2年生の春休みの自分にとっては、そんなこと成功者の言う言葉だ。とひねくれていました。高校生の頃に持った宝塚の舞台への夢が忘れられず、未だに大学生活も充実させることができず楽しみがないという心理状態でした。永井先生は初対面の私に「早坂さん、過去ではなく今を生きてください」とおっしゃりました。その時の真剣で鋭い眼差しと優しい口調は今でも鮮明に記憶に残っています。過去に縛られている自分に気がついていたのに、目を反らせて気づかないフリをしていた自分のことを初めて情けなく、恥かしいと感じました。アナセミ初訪問の際、大学生3年生・4年生の方々はもちろん、社会人や既卒の方々も発声練習をしカウンセリングを受ける姿を目にして驚きました。「そうか!アナウンサーを目指すには年齢制限がないんだ!」そのことを知り、諦めずに必死で努力すればいつかはアナウンサーになれるかもしれない……、とアナウンサーへの小さな想いは一気に大きく燃え上がりました。夢を持ち、目標に向かって進むつことに不安を抱いている方。アナセミに毎日通い、練習していれば「悩むより、行動に移そう!」と前向きな気持ちになれます。勇気を持って前進してください!!1、自然に挨拶をすることの大切さ。2、自分らしく生きる強さ。3、仲間、先輩、後輩の存在の大きさ。この3つをアナセミで学び社会人として羽ばたきます☆ 永井先生、2年前に私を目覚めさせて下さり有難うございました。よき薫陶を受けることができたことに感謝致しております。今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
page top
原渕 由布奈 【6期生】
就職活動を始めて、およそ一年が経ちアナセミからも遠ざかっていた頃……、「ここでアナウンサー受験を終わりにしよう」そう決めて、福井県にあるテレビ局の試験に臨みました。決して後悔することのないよう、先生を信じて通える日は毎日アナセミでカウンセリングを受け、また、それまで受験地のことを調べるようとしなかった私が、先生のアドバイスを受けて、福井の特色・地理・歴史を勉強しました。その結果、なんと先生の誕生日に、「内定」というプレゼントを贈ることができたのです。アナウンサーを目指しているけれど、努力の仕方がわからないという皆さん、アナセミの門を叩いてみてください。きっと永井先生が内定へと導いてくださいますよ。
page top
平松 奈々 【7期生】
1億2千万人分のお1人である永井先生に出会えたことは偶然でしょうか?必然でしょうか?私は、必然だと思います。先生は「ご縁」という言葉をよくおっしゃいます。私が内定をいただいた長野放送とも「ご縁」があったように感じます。まず、2006 年3 月31 日に先生のご依頼のもと、「長野放送採用試験」のオムレツメールを送信させていただきました。次に、当時毎日通っていたアナセミに、1次試験の前日にたまたま行けなかったのですが先生がお電話をくださり、進行表の内容を教えてくだいました。そして、1 次面接を受けた後の報告のオムレツメールも私が送信したのです。あまりなかったシチュエーションが何度か続き、その結果2006 年5 月24 日に内定をいただくことができました。目に見えるような「ご縁」と出会うことができました。本当に嬉しく、長野から東京に戻って先生の顔を見た途端に先生に飛びついて抱き合って喜んでしまいました。あのときの気持ちは一生忘れられないものであると思います。1 月に再びアナセミに通いはじめてからも先生は快く私を受け入れてくださり、リポートや原稿読みのカウンセリングを見てくださり、非常に感謝しております。アナセミで勉強したことを仕事に活かし、多くの人に様々な感動や幸せを伝えていけたらいいなと思っています。先生には何と感謝すればいいのか適当な言葉が見つかりませんが、これからも先生やアナセミの仲間と出会えた奇跡のようなご縁を大切にしていきたいと思います。大好きな永井先生、これからもこんな私をどうぞよろしくお願いいたします。明るく、心を持って、一生懸命!アナセミ万歳!!
page top
藤本 晶子 【5期生】
右も左もわからない、化粧の仕方も、おしゃれの仕方も何一つわからない私が、永井先生とアナウンスセミナーのみなさんに出会ったのは、二年近く前になります。初対面から、先生はやさしく手をさしのべてくださって、「頑張りましょう」と言って下さいました。それからは、とにかく、先生のおっしゃることを聞き、素直にやってみるということを繰り返しました。素直に!というのは、簡単なようで難しいということが、この二年間でよくわかりました。自分の考えと、多くの人からの助言との狭間で苦しんだ時期もありました。また、人の意見に流されっぱなしで、自分の考えや、自分自身がわからなくなることもありました。しかし、私はどんな時でもアナウンスセミナーに通うことをやめませんでした。苦しい時だからこそ、毎日、先生の顔を見て、一緒に戦っている友人たちに会うことで、救われていたことを思い出します。私は、自分の悩みや愚痴を他人に言うのが苦手なので、落ち込んでも一人で思い悩む癖がありましたが、アナウンスセミナーに行き、みんなの笑顔に会えただけで頑張れたように思います。確かに、就職活動は孤独な戦いです。頑張ったら、その分成果が出るかと言われればそうでもなく、運や縁に作用される部分もたくさんあります。その中で、確固たる意志と覚悟、想いを持ち続けて、志気を高めていくためには、私にはこのアナウンスセミナーが必要な場所でした。ここで、出会った先生、先輩、OBの方々、同期、後輩、すべての縁がこれからの私の人生の財産になってゆくと思います。「人と人のつながりの大切さ」それこそが、永井先生から教えていただいた一番大切なものだと思います。
page top
外城 美江 【社会人】
初めてアナセミを訪れたとき、私は27歳を目前にしていました。27歳で初めて向き合うことのできたアナウンサー受験。人見知りでアガリ症だった私は、自分に自信が持てず、まずは度胸をつけようと司会の仕事を選んだりしながら、過酷な受験からは逃げてばかりいました。そんな私が、28歳にして夢を実現できたのは、アナセミ、永井先生との出会いがすべてだったと思っています。私はアナセミを訪れる数日前からすでに、年齢なんて関係ない。アナセミなら、永井先生についていけば絶対に夢は叶うはず、と信じていました。というのも、この贈る言葉のページに書かれた先輩方の言葉が、アナセミのすばらしさを物語っていたからです。最初から最後まで涙が止まりませんでした。ここにある贈る言葉たちは、私の不安をすべて取り去り、受験に向かう多大な勇気をくださいました。ですから、このページを読んでくださっているみなさんにも、どうか永井先生を信じて、アナセミを信じて夢をあきらめないでいただきたいのです。アナセミの仲間はみんな家族。アナセミなら一緒にがんばる仲間がたくさんいます。そして一日も休まず、どんなときも命を懸けて全力で応援してくださる永井先生がいます。落ち込むことももちろんたくさんありました。でも、いつも手を握り「明るく心をもって一生懸命!がんばってください!」と受験に送りだしてくださる先生。泣きながら「ダメでした」と報告する私に、同じように心を痛めてくださり、「またがんばりましょう」と温かい手で握手してくださる先生。いつどんなときも「大丈夫です」と言ってくださる先生。書類が通ったとき、一次を通過したとき、ひとつ歳をとった誕生日、いつも一緒に喜んでくださる先生。いつしか、そんな先生に内定で応えたいと思うようになりました。28歳でも夢は叶う。叶った今も、遠く同じ空の下、先生やアナセミのみんなとつながっていると思うと、それだけで大きな勇気となります。そして何より、伝える仕事のすばらしさ、楽しさ、難しさ、喜び、いろんな思いを感じながら、夢から逃げないでよかったと思っています。アナセミに、永井先生に出会えたことに心から感謝します。
page top
堀越 純子【2期生】
去年、なりふり構わず大泣きしたことがありました。大学4年の11 月。アナウンサー試験を受け始めてちょうど1年が経っていました。アナウンサーになりたい、という気持ちと、でも結果が出せないもどかしさが毎日毎日私の頭の中をかき回していました。「このままアナウンサーを目指していていいのか?」いくら考えたって、答えは出ません。そんな時、両親から電話がかかってきました。「気分を変えて、そろそろ方向転換してみたらどう?試験に落ちるたび、あなたが辛い思いをするの見てるとかわいそうで仕方がないから・・・」両親が私を心配してくれているのはよくわかりました。でも、絶対的に私を応援してくれている味方だと思っていた両親にまで見放された気がして、どうしたらいいかわからなくなって涙が止まりませんでした。涙が止まらないまま、向かった先は永井先生のいる庄や。先生は号泣する私の手を強く握って、「大丈夫です。絶対なれます。アナウンサーになれる、なれないの問題じゃなくて堀越さんはなる人なんです。絶対いいアナウンサーになると思いますよ。大丈夫です。ご両親が反対なさるのなら、私が説得したっていいんです。私が絶対なんとかしてみせます。任せてください。責任とります。」と、何度も繰り返し言ってくださいました。先生は私をこんなに信じてくれているのに、私は自分で自分を信じきれていなかったんだな。自分をもっと信じよう。それからの私は本当に自信を持って試験に臨むことができ、その2ヵ月後にアナウンサーへの道を手に入れることができました。今、先生のあのときの言葉があるから私は安心して仕事をすることができています。
page top
堀野 麻由【9期生】
約1年半の間で120局の受験を経て、私はようやく念願の話し手になることができました。その受験局数を言うと大抵「よくそこまで諦めなかったね~」なんて言われますが、私が何度落ちても諦めず、いま話し手として歩みだすことができているのは、永井先生とアナセミとの出会い、そして永井先生の言葉『念ずれば花開く』という言葉を信じていたからです。
小学生の頃からアナウンサーを目指していた私は、大学2年生の頃スクール探しをしていました。そんな時、知り合いのアナウンサーから薦められたスクールがちょうど私が1番気になっていた東京アナウンスセミナーだったことから幸運にも私はアナセミと最初に出会うことができました。アナセミの雰囲気はいつも緊張感が漂っていて、その頃の私は先輩方のアナ受験に対する姿勢だけでなく気配りや心遣いにただただ圧倒されてばかりでした。そのせいか永井先生から「そろそろカウンセリングにもいらっしゃってください」と言われても、行くことができませんでした。そんな私に永井先生は本気で叱ってくださいました。こんなに自分のために真剣に叱って下さる人に対して、今まで自分は何て中途半端なことをしていたんだと反省し、永井先生についていこうと心を決めました。それからはできるだけ毎日アナセミに通いました。受験がはじまり、まず書類通過の壁にぶつかりました。当時、精神面が弱かった私はその時点で「もう自分は向いてない、こんなにアナ受験に時間を費やしてきたのに全然努力が報われない」と嘆いてばかりでした。時にはもうどうしたら良いかわからず、アナセミや庄やさんで泣き出してしまうことも多々ありました。そんなとき永井先生はいつも「大丈夫です!堀野さんは絶対アナウンサーになれます!」と声をかけて下さったり、先生が作った心のこもった詞をプレゼントして下さいました。永井先生の言葉は魔法のように私をいつも救ってくださいました。それから約半年後、やっと最終試験に残るところまでくることができました。しかしなかなか私はご縁のある局と出会うことができませんでした。焦りと不安でいっぱいの毎日でした。
そして、私は永井先生が生きていらっしゃる時に内定することができませんでした。誰よりも早く内定を報告したかった永井先生がいなくなったことは、とてもショックが大きく悔しい気持ちでいっぱいでした。しかし最後に永井先生にお会いした時も先生はご自分の体調が悪いにもかかわらず、「堀野さんの内定お祝いの時はまたウチでワイン会をしましょう。その時は私もワインのボトル3分の2ぐらいは飲みます。」とおっしゃって下さいました。それからはどんなに辛くてもその時の先生の笑顔と言葉を思い出し、先生のようにどんな時も人を気遣える人、心ある話し手に絶対になりたい!と気持ちを強く持ちました。もちろん永井先生だけではなく、本間さんや安達さんをはじめ、アナセミの先生方、9期の仲間、先輩、後輩にもたくさんたくさん支えていただきました。本当にアナセミファミリーのおかげで私でもなんとか最後までアナ受験を続けることができました。感謝の気持ちでいっぱいです。アナ受験は努力したからと言って内定が出るわけでもありません。運とご縁も必要です。しかし、諦めなければ絶対になれます!長くなってしまいましたが最後に、アナセミファミリーの皆さん、これからもどうぞよろしくお願い致します。
page top
本田 朋子【6期生】
「明るく、心をもって、一生懸命」。この言葉が、何度私の背中を押してくれたでしょう。初めて永井先生にお会いしてから、内定を頂くまでに、何度も何度も永井先生が贈って下さった言葉です。この言葉は私にとって、何よりも大事な必需品となりました。というのも、カメラテストや面接の前に、緊張をほぐすため、アロマオイルを染み込ませたハンカチを握り締め、心の中で「明るく、心をもって、一生懸命。頑張るぞ!!」とおまじないのように唱えるようにしていました。そうすると、なんだか心がスッとし、自然な表情で本番を迎えることができたのです。きっと、言葉の意味以上に“永井先生"という大きな存在が、私を私のままでいさせてくれたのだと確信しています。また、アナウンスセミナーでは、「生徒同士も敬語を使う」というルールがあります。初めは、慣れない言葉遣いに戸惑ったりしたのですが、今では自然に出てくるようになりました。やはり、面接などの際に、きちんとした敬語が使えなければ、恥ずかしいですし、印象も良くはありません。アナセミはそういうアナウンス技術以外のことも学ぶことができます。そして、何よりも「人を思いやる気持ち。“心"で話すこと」が一番大事なんだということを学びました。テキストには載ってないけれど、アナウンサーを目指す人に必要不可欠なことを、永井先生をはじめとするアナセミの皆さんが教えてくれました。本当にありがとうございました。そしてこれからも、宜しくお願いいたします!!
page top
