贈る言葉 (か行)
東京アナウンスセミナー卒業生が後輩へ向けて贈るメッセージを紹介します。(敬称略)
- 皆藤 愛子 【6期生】
- 加藤 聡 【8期生】
- 加納 美也子 【1期生】
- 亀山 蓉子 【5期生】
- 河合 麗子 【社会人】
- 川崎 寛司 【3期生】
- 川部 絢子 【9期生】
- 木村 季康 【1期生】
- 木竜 亜希子 【1期生】
- 工藤 淳之介 【9期生】
- 國井 美佐 【8期生】
- 熊坂 良 【社会人】
- 倉見 慶子 【社会人】
- 小出 涼子 【社会人】
- 河野 哲也 【1期生】
- 郷間 翔【9期生】<new>
- 越塚 優 【社会人】
- 小林 新 【3期生】
- 小林 恵子 【1期生】
- 小林 史子 【7期生】
- 小林 真樹子 【1期生】
- 今野 智美 【1期生】
皆藤 愛子 【6期生】
30秒の自己紹介が5秒とできず、泣き出してしまったカウンセリング1回目。あれから半年が経ちましたが、振り返って思い出すのは永井先生や周り方の温かい笑顔、笑顔……。そして、先生の「明るく、心を持って、一生懸命」という力強い言葉!私は本当に支えていただいてばかりでした。自分の情けなさ、悔しさ、不安……。いちいち泣いて、一時期は本気でもう諦めようと思ったこともありました。そんな時、永井先生とアナセミの皆さんはいつもそばで、世界一温かくて素敵な言葉と、優しい空気で包んで励ましてくださいました。その優しさにさらに泣いてしまう情けない私でしたが、本当に本当に救われ、支えられてきたなぁと思います。初めて来校した時、階段ですれ違った方に当たり前のように「こんにちは」と挨拶され、私は驚いて何も言えませんでした。今では永井先生のおっしゃる「家族」を身を持って感じ、その意味がよくわかります。アナセミは一人の喜びを、全員で心から喜べるところです。もし辛いことがあっても一緒に受け止めて、本当に親身になってくださる先生がいらっしゃいます。ここの一員でいること=無敵なのではと思います!!永井先生、皆さん、本当にいつもありがとうございます。そして、これからもどうぞよろしくお願い致します。
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加藤 聡 【8期生】
アナウンサーになりたいという夢を持ち始めた大学2年生の私は、姉の友人である東京アナウンスセミナー出身の現役アナウンサーの方にご紹介いただき、アナセミの門をくぐりました。入会時期が2年生の秋という比較的早い段階だったため、3・4年生や社会人クラスの先輩方に囲まれながらのアナセミ生活となったのは大変幸せなことでした。アナウンサーになるという強い思いを持ち、仲間たちと切磋琢磨しながら、お互いの喜びや悲しみを分かち合う先輩方の姿に衝撃を受けました。アナセミに出会えたご縁に感謝し、大切にしていきたいと思いました。大学やサークル、アルバイトなどのため毎日とはいきませんでしたが、時間のある限りアナセミに通い、先生のご指導を仰ぎました。先生は教室でのご指導にとどまらず、教室以外でも様々なご相談やお話をしてくださり、人としてどう生きるかを考えさせられることもしばしばでした。そして、アナウンサーになることは「夢」ではなくなり、一人でも多くの人々に勇気や元気を届けられる「心のあるアナウンサー」になることが私の人生における「目標」となっていきました。アナウンサー受験は精神的にもハードなものでしたが、アナセミの仲間たちと支えあい、先輩方や永井先生に勇気をもらい励まされ、幸運にも内定をいただくことができました。決して私ひとりで得た内定ではありません。アナセミに出会うことができたこと、先輩や同期、後輩たちに出会い切磋琢磨できたこと、アナセミのOBOGの方々に様々なアドバイスや勇気をいただいたこと、そして何より、永井先生という最高の師に出会えたこと。アナセミで得たすべてがかけがえのない宝物です。その源泉は『ヒューマンネットワーク』。永井先生の下に集まってくるすばらしい人々のつながりなのです。入社して1アナウンサーとなってもずっと私は永井先生の教え子として、アナセミの卒業生として、100点満点は有り得ないアナウンサーという職業に向き合って常に精進していきたいと思います。『明るく、心をもって、一生懸命』私に何度も勇気をくれた永井先生のお言葉は、これからもずっと、ずっと私の背中を力強く押してくれるものだと確信しています。
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加納 美也子 【1期生】
毎日別れ際に交わす握手から感じる、先生の手の「温もり」。それが私のパワーの源でした。私のアナウンサー受験はずっと孤独な戦いでした。特にアナウンサー学校のようなものには入らず、1年間インターネットを駆使して試験を受けていたからです。「アナウンサーになるまで受け続けるゾ!」と決意はしていたものの、いざ落ち続けるとなんだか自分を否定され続けているような気持ちになっていきました。そんな私を励ましてくれたのが、試験会場で出会った受験仲間でした。明るく前向きに頑張る彼女たちからいつもパワーを貰っていたのです。しかし、大学4年の11月、今まで共に頑張ってきた友達が次々と受かり、自分だけが取り残されたような気がしました。「もう辞めたほうがいいのかな…?」と悩む私に、受験仲間が紹介してくれたのが“永井先生”でした。初めてお会いした時、先生は私に握手を求めました。先生の手の温もりに触れた時、私はあることに気がついたのです。それが、これまで私がパワーをもらってきた受験仲間と同じ“あたたかさ”だということを。不思議なことに、私がこれまで魅力的と感じて仲良くなった受験仲間のほとんどが先生の生徒でした。私はアナウンスセミナーに通う前から、間接的に先生のあたたかさに励まされてきたのです。それから毎日学校に通い、わずか1ヶ月半後にアナウンサーとして内定を頂くことができました。アナウンサー試験は受験する人に比べ、内定をもらえる人がとても少ない厳しいものです。それゆえに、人に優ろうと焦ったり、人と比べて自分の至らなさを嘆いたり、本当の自分を見失いそうになることもあります。でも、アナウンスセミナーではカウンセリング(模擬面接のような質疑応答やフリートークの練習)を通して自分を見つめ直すことができます。個性的な仲間に囲まれて、刺激を受けることができます。そしてなにより、先生や仲間たちの温もりに触れて心が豊かになります。そんな永井門下生のあたたかい輪に、あなたも加わってみてください。きっと道が開けますよ!
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亀山 蓉子 【5期生】
永井先生と出会い、東京アナウンスセミナー(アナセミ)で沢山の友人ができて、私は変わりました。人前で話すことが大の苦手で、緊張すると声が出なくなってしまうくらいあがり症だった私が「人前で話す」仕事に内定をいただけるまでに成長したのはアナセミがあったからです。 初めて見学に来たときに、「なぜアナセミには素敵な人しかいないんだろう」と洗練された先輩方に驚きました。その理由は通っていくうちに分かりました。先輩方、同期の仲間、そして永井先生の言葉から、アナウンサーになるためには何をするべきなのか努力の仕方が見えてくるんです。私は、アナウンサーを目指すことで自分が変わっていくのが嬉しくて楽しくて、それと同時に辛いだけだったアナウンサー試験も楽しくなっていきました。一緒に頑張る仲間がいて、お手本となる先輩方がいて、そして厳しく優しい永井先生の教えの中で磨かれて素敵なアナウンサーになっていくのだと感じます。アナセミを通してできた仲間とこれからもずっとつながっていけることが、今とても幸せです。アナセミを巣立っていった数々の優秀な先輩アナウンサーに続けるように、これから一生懸命頑張りたいと思います。永井先生、これからも末永くよろしくお願いいたします。
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河合 麗子 【社会人】
やっとこの贈る言葉を書くときがきました。「女子アナ30歳定年説」なんて言葉をよく耳にしますが、アナウンスセミナーの永井譲治先生の前では、こんな消極的な思いを抱くことは許されません。むしろそんな思いを抱くことさえなかった気がします。私がアナウンスセミナーの授業を始めて受けたのは2003年1月19日、もう25歳になったころでした。そして2008年1月19日に琉球朝日放送のアナ試験を受けて内定をいただきました。丸5年の月日、そして30歳にして、長年の夢であったアナウンサーの仕事させていただけることになりました。永井先生には、アナウンスはもちろん、人間性を高めるための様々なご指導をいただきました。私はアナウンス受験を続けていたために、これまで様々な仕事をしてきました。フリーターや派遣社員、CM制作や野球のスコアラー、交通情報キャスターやコミュニティFMのパーソナリティなどなど……、このように様々な仕事をしていてもそれぞれの会社で良い人間関係を作ることができたのは、永井先生の「謙虚さと感謝する気持ちを大切にしなさい」というご指導があったからこそだと思います。私にいろいろな仕事の経験をさせてくれた多くの方々に、今感謝の気持ちでいっぱいです。今受験をされている方の中には、自分の人間性を否定されているような、そんなつらい思いでいっぱいの方もいらっしゃるのではないでしょうか?でも、これからの試験でも自分らしさを表現しつづけてほしいと思います。しかし自分の思いだけを伝えることはただの甘えです。それぞれの会社が社員になるべき人にどんなことを望んでいるのか、それを考えながら永井先生の下で人間性を磨いていってください。アナウンス受験を続けられること、永井先生のご指導を受けられること、アルバイトをしてお給料をいただけること、学校の授業を受けることができること、日常生活の様々な幸せに感謝して、その感謝に答えるために自分はどうするべきかを考えていけば、自ずと人はついてきてくれます、そしてその先に内定が見えてきます。私は内定までには長い年月がかかりましたが、その過程の中での多くの出会いには自信を持つことができます。感謝と謙虚さをもちながら、自分にしかない自信を身につけていってください。そして面接のときは堂々と自分らしさを発揮してください。アナウンスセミナーの皆さんの健闘を祈っています。そして永井先生、本当に長い間ありがとうございました。
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川崎 寛司 【3期生】
五島列島の海は青い。深く澄み、遠くまで輝く。きっと見る者の心を揺さぶるのだろう。日本で一番好きな場所だ。今は静岡に移り住み、朝な夕なに県内を駆け巡る。社会人として、アナウンサーとして初めて赴任したこの土地で、日々新たな「好き」を探している。五島列島で生まれた。長崎の遥か西に浮かぶ小さな島。長崎の本島から船に揺られて四時間半。島の西側からは中国大陸が望める。そんな島で、家は旅館を営む。古く、そして小さい。女将である母の宏子は圧巻だ。「物を売るより人を売れ」母の口癖だった。商売で大切なのは、商品よりも売る人の人間性。『心』だと日頃厳しく説く。悩んだ時の母の解決方法、それは「メシ食って寝ろ」だ。この島でこの母親に育てられたせいか、元来小さなことは気にしない。情にもあつい。ただし、幼い頃から体に染み付いた「五島時間(しまじかん)」だけは、今悩みの種だ。あまりにゆったりした性格のため放送局の仕事について行けず、よく怒られる。大学では、島を出て上京した。しかし、夢は特になかった。強いて言えば「夢を持ってひたむきに生きること」それが夢だった。アナウンス学校に通い出したのも、小さい頃からアナウンサーになりたかった訳ではない。自分には何ができるのだろうか?そんな模索の末に辿り着いた。人生に、もがいていた。そこで永井譲治先生と出会った。『人生は出会い』そんな言葉があるように、永井先生との出会いで、僕の人生は少しずつ少しずつ動いて行った。そして、後に大きく変化していくことになる。夢を叶えたい!輝ける人生でありたい!そんな想いから毎日アナウンスセミナーに通った。雨の日も木枯らしが吹く日も、毎日永井先生のカウンセリングを受けた。道すがら、カウンセリングに使えるネタがないか必死で探した。朝は6時に起きて、その日のニュースを2時間勉強した。発声練習も欠かさなかった。時にお寺や公園、スポーツの試合に足を運び、リポートも作った。ただスポーツ実況だけは、アナ学校でもトップの下手さをほこった。神宮球場で友人との野球実況練習、前進するセンターを必死で「センターバック!センターバック!」と叫んで笑われた。「アナウンサーになる」、懸命な日々を過ごすうち、それはすでに揺らぐことのない断固たる決意となっていた。しかし、アナウンサー採用試験には落ち続けた。イイトコロまで行く時もあったが、“内定”を勝ち取ることは決してたやすいことではなかった。どんなに毎日アナウンスセミナーで訓練しても、それを活かせない面接もあった。自分がふがいなく、悔しかった。日々永井先生が口にする「向き不向きより前向き」その言葉すら否定したくなる日もあった。自分には、決して向いていないのだと。それでも毎日通った。毎日声を出した。面接試験に落ちた日も涙を押し殺して出し続けた。「アエイウエオアオ」その声は不安に駆られる心の叫びであり、やり場のない憤りでもあった。そんな中でも、永井先生はいつも変わらなかった。変わらず「頑張りましょう」と明るく微笑んでくれた。そして、いつの間にか永井先生を心の師と仰ぐようになった。こっちが本気になってぶつかって行けば行くほど、永井先生もそれに応えてくれる。だから、毎日喰らいついた。わからないことはわかるまで先生に聞いた。しつこかった。2002年春、政界では田中真紀子、鈴木宗男の不祥事が連日取り沙汰され、スポーツ界では日韓サッカーW杯を目前に控えていた頃、33社目となるアナウンサー採用試験を受けた。それが今働いている会社だった。最終面接でのこと。おもむろにコワモテで、明らかに偉そうな面接官に問われた。「なぜ、アナウンサーでなければならないのか?」「別にアナウンサーじゃなくてもいいんじゃないの?」と。「好きだから!」これまで放送局の面接に落ちた時の何とも言えない悲しさ、毎日毎日通ったカウンセリングの日々、そして一緒に夢を目指す仲間や毎日命を懸けて指導して下さった永井先生のことを想い、その全てをつめ込んで答えた。「アナウンサーが好きだから。だからアナウンサーになりたいんです!」『念ずれば花ひらく』三日後の夕方に来た内定通知の電話。受けた直後は頭が真っ白だった。自分の状況を把握できなかった。その後友人達から届いたお祝いの電話やメール、その夜の内定祝い、そして永井先生と抱き合って思いっ切り流した涙で、やっとその実感が湧いた。あの日は、一生の宝である。好きだという気持ちは何ものにもかえがたい。自分の中で最も単純で、最も純粋な気持ちなのだろう。今は静岡で暮らしている。新しい住まいの程近くからは海が見える。「静岡の海の青さは、川崎氏の信じた道を歩むための『ゴー』サインです」静岡に発つ前、永井先生に頂いたこの言葉を胸に大好きな静岡で、明るく心を持って一生懸命、今を生きる。
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川部 絢子 【9期生】
永井先生、そしてアナセミの『家族』なくして、今の私はいません。そう言い切れます。私は先生と出会ったことで、人生観が変わりました。私がアナセミに通い始めたのは、大学2年生の秋頃でした。私ははじめ、先輩方のアナ受験に対する姿勢にただただ圧倒され、『このままではだめなんだ。先輩みたいになりたい』と強く思う一方で、その雰囲気の中に入っていく勇気がなく、授業以外にアナセミに行くことができませんでした。そして、カウンセリングや庄やさんに1度も行かないまま3年生の夏になっていました。そのことで1度先生に叱られたこともありましたが、それでも勇気を出すことができなかった私を、先生は見捨てることなく、『待っていますからきてくださいね~』と声を掛け続けてくださいました。試験も目前にせまり、自分をかえたいという思いで、勇気をだし庄やさんに行きました。すると、そこにいらした本間さんが、『絢子は~だから、そこをもっと練習すればもっとよくなると思うよ』と声をかけてくださったのです。授業で1,2度しかお会いしたことがなかったのにも関わらず、私の名前を知っていてくださり、さらに弱点までも知っていてくださって、私をアナセミの一員として認めてくれているような気がしてとても嬉しかったのです。そのことが励みとなり、それからは毎日のようにカウンセリング、庄やさんへ通うようになりました。同期とはアナセミに行く前にカフェで一緒に面接対策をしたり、ESを書いたりするようになるほど仲よくなれ、同じ夢に向かって一緒に一喜一憂し、一緒に頑張ることができる仲間がいるってありがたいなぁと心から思いました。本当に支えられました。地方受験のときには、宿泊費節約のために、ばれないかヒヤヒヤしながら1人用の部屋にこっそり2人で泊まったり、受験地のことを知るために、試験の前日に一緒に観光したり、名物をたくさん食べたり♪実況練習等の練習のために皆でスポーツ観戦に行ったり…皆がいなければアナウンス受験を乗り切ることはできなかったと思います。応援メールや、深夜まで及ぶ電話相談もありがとうね!長いアナウンス受験の中、『頑張ったって自分はアナウンサーになれないんじゃないか、自分はやっぱりむいていないんだ』と何度も思い、辛くなったことも度々ありました。すると不思議なことに先生は、私がそういう気持ちになっているとき、どこかで見ているのではないかというタイミングで、先生自作の心温まる素敵な詩を送って下さるんです。また、試験前日に地方のホテルで不安と孤独と戦っている時にも、それを見ているかのようなタイミングで電話をくださいました。そして『大丈夫ですよ~』『明日も心を持って一生懸命頑張ってください』と言ってくださいます。極限の精神状態の中、この言葉の温かさといったらありません。そしてその後は、オムレツに『○○放送内定へ!いつもそばにいて見守っています』とケチャップで書き、写メールを送って下さる。翌日は、試験時間の前に神社にお祈りに行き、神社と絵馬の写メールで励ましてくださいました。内定後にその神社へお礼に行った時には、神社にかかる絵馬のほとんどが先生が書かれたものでした。先生、なんでそんなに人のためにばかり生きられるの?先生はいつも、自分のことではなく、人のため、私たちのために生きて、支えてくださいました。先生との楽しい思い出もたくさんあります。先生はアナセミや庄やさんだけではなく、先生のご自宅でもES対策や面接対策をしてくださいます。面接対策で先生の家に集まったはずが、いつの間にかDVD鑑賞会になっていたり、ワイン会になっていたことも度々ありましたよね。先生が飲みすぎて、次の日誰もいないところにも握手をし、大笑いしたこともありました。アナセミで過ごした日々は、全てが温かく、大きく成長できた、とても大切な時間でした。また、社会人となった今も、先生に『大丈夫ですよ~』と言ってほしい時がたくさんあるんです。永井先生、これからも、ずっとずっとそばで見守っていてください☆先生、素晴らしいアナセミ家族との出会いを、温かい思い出を、そして全力で私たちのアナ受験を支えてくださり、本当にありがとうございました。それから現在アナセミを支えてくださっている皆様、私たちの帰る場所を残して下さり、本当に本当にありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願い致します。
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木村 季康 【1期生】
「アナウンサーになりたいのならここへ一度連絡してみて下さい」大学3年の5月、当時学生新聞のサークルに所属していた私は、神宮球場に取材に来ていました。試合後、ロッカールームの外で監督と選手を待っていたところ、スーツに身を包んだ男性が私を同じように待っていました。何気なく話し掛けてみると、その方はフリーアナウンサーとして活躍されている方で、今度CS放送で大学野球を中継するので取材に来ていたとのこと。その後、話は及んで「アナウンサーになりたいのですか」「はい」「じゃあ私も学生時代にお世話になった方がいるので連絡してみます」こんなことから永井先生との出会いが始まりました。人の定めとはわからないものです。あのとき、私が声をかけていなければまた違った人生となっていたはずです。アナウンサー学校というものを「邪道」だと思っていましたが、通い始めてからはそんな気持ちもどこかへ消えていきました。午後なら学校が必ず開いていますし、同期と一緒に頑張れること、OBから話をきくことができたのは大きな財産となりました。福島に来て2年目。先輩アナウンサーのほとんどが永井先生のゆかりの方で、今年は県内の放送局と新聞社に後輩が入っていきました。まさにヒューマンネットワーク。学校を離れると余計にその凄さ、パワーを感じます。来年、再来年とさらに人の輪が広がっていくのでしょう。
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木竜 亜希子 【1期生】
私はアナウンスセミナー開校と同時に入学した1期生です。「アナウンサーになりたい」という強い気持ちで学校の門を叩きました。試験はかなりの精神力と体力が必要となりました。キー局から始まった試験。岩手に行き、名古屋に行き、山口に3回行くなど、全国各地の放送局を受けてそして落ち続けました。ですが、それでもあきらめることなく前向きな気持ちで受け続けられたのは、永井先生がいたから。自分の時間を削り、私達一人一人を平等に、365日体制でそばについてくれたからです。経験豊かな講師の方々が親身になって教えて下さったからです。夢に向かって一緒に頑張った友だちと心から励ましあえたからです。アナウンスセミナーで出会った永井先生と、友達と一緒に心から泣いて、心から笑いあえたからです。離れ離れになった今でも、先生や、全国各地で活躍している友達とは連絡をとって悩みを打ちあけたり、たわいのない話をしています。私にとってのアナウンスセミナーは「アナウンス学校」という言葉の枠を超え、生涯の絆を築くことができた大切な場所です。私は永井先生に自分を信じる力をもらってアナウンサーになることができました。「アナウンサーになりたい。」強い気持ちのある方には是非、アナウンスセミナーであなたのかけがえのない時間を過ごして下さい。そしてブラウン管を通して、みなさんが活躍する姿が見られる日を楽しみにしています。
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工藤 淳之介 【9期生】
2009年3月31日…いよいよ明日から、幼い頃からの憧れだった仕事に就くに当たり、湧き上がる感情は、22年間生きてきてお世話になった人たちへの「ありがとう」。
その中でも真っ先に浮かぶのは、永井譲治先生はじめ、アナセミの皆さんへの感謝の気持ちです。アナセミで学んだことは、エントリーシートやアナウンサー試験突破のコツ、アナウンス技術には決して収まりきりません。思いやりや気くばり、人として大切なこと…そして、何でアナウンサーになりたいのか、アナウンサーとして生きるとはどういうことなのかをひたすら自問自答する機会を与えてくださった気がします。おかげでまだまだ未熟者ですが、人間的に成長できたと感じています。アナセミに出会わなければ、職業どころか人としても違う生き方、考え方をしていたと思います。断言できます、東京アナウンスセミナーがなければ、アナウンサーになることは不可能だったと。これから先、永井先生とアナウンスセミナーの皆さんから学んだことを糧に、アナウンサー人生を歩んでいきます。それと、東京に「帰る場所」ができたということも、本当に幸せに感じることです。「明るく、心をもって、一生懸命!」今後それぞれ別の土地にいても、この言葉を唱えるとアナセミの皆さんの顔が思い出され、パワーが漲る気がします。これからの仕事に全力で取り組むことが、アナセミへの恩返しになると思っています。頑張ります!
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國井 美佐 【8期生】
アナウンサー受験をしよう!そう決意した私は、近所の本屋さんへ行きました。就活関連のフロアに行き、はじめて手に取った本が、永井先生のご著書「アナウンサーになる!」でした。昼には一人一人カウンセリングという個別指導をしてもらえ、夜には居酒屋さんの奥座敷で先生がエントリーシートの添削・受験対策をしてくれる。ときには、悩みや夢、人生をも語り合う。しばらくすると、アナウンサーになった先輩方が、予約なしにひょいと集まってきて、気づくと大家族になって食卓を囲んでいる。誰か内定がでた日には、先生も仲間も自分のことのように喜んでくれる。そして、先生が黄色いオムレツに赤いケチャップで内定おめでとうと書いてくれ、みんなで朝まで杯を交わす……。一気に読み終わり本を閉じると、東京にはこんなにあたたかくて素敵な学校があるんだ!!!と胸が高鳴ったのを今でも覚えています。通いたい!しかし、私は名古屋だから通うことはできない。そう諦めていました。東京の局の試験が終わり、大阪の局の1泊2日の試験でアナセミの方3名に出逢いました。そして、学校のこと、永井先生のことを教えてもらい、最初に手にとった本を思い出しました。それからというものの、アナセミのことが頭から離れず、本を読み返しては、永井先生のことを自分の先生と思い、本にかかれている先生の言葉を励みに試験を続けました。しかし、大阪もすべて終わり、地元名古屋の試験が一つ、二つ終わった頃には、触れられたら今にも泣き出してしまいそうな状況で、自分でもどうしていいかわからないほど切羽詰まっていました。そんなとき、三日連続アナセミの夢をみたのです。それまでは電話の子機をもち、数字を押してはみるものの勇気をもてずに切ってしまっていたのですが、三日目の朝「これはお告げなんだ」と腹をくくり、お電話をしました。永井先生はとても穏やかなあたたかい声で「大丈夫ですよ、お待ちしております」とおっしゃってくださいました。そして一ヶ月後、内定をいただきました。アナウンサー試験というのは、思っているよりずっと苦しい試験です。選考が進めば進むほど、その局を愛し、自分の働く姿を夢見てしまいます。そのぶん、実らなかったときのショックは計りしれません。失恋と同じことですから。しかし、ショックを受けた次の日には別の採用試験がある。そんなとき、周りの人の支えなくしては、笑顔になれないときもあります。アナセミには、命をかけて指導してくださる先生がいます。人の内定を心から喜びあえる仲間がいます。親身になって相談にのってくださる先輩がいます。そんな「アナセミ家族」に出逢えて、あの時勇気をだして電話をかけて本当によかったと思っています。アナセミでは、沖縄、新潟、香川、愛知、大阪などなど、遠方から通われている方がたくさんいます。自分は遠方だから……。そう思って躊躇されている方がいたら、是非一度電話をかけてみてください。あたたかい心と笑顔で先生は迎えてくださると思いますよ。
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熊坂 良 【社会人】
永井先生と、出会ったから今の私があるように思えます。小さな頃から目標としてアナウンサーという仕事。大学時代アナウンサー受験のために全国行脚をし、なかなか結果が残せない中、テレビとは全く関係のない仕事で、私は社会人となりました。毎日、仕事をこなす中でやっぱりアナウンサーという夢を実現させたく、学生の時からお世話になっている、永井先生のもとでカウンセリングを再び受けさせてもらいました。仕事と並行しながらアナウンサー受験をし、多忙な日々を送る中、いつも永井先生は私にこう言って下さっていました。「アナウンサーに絶対なれますから、大丈夫です」と。その言葉を信じ、仕事と両立をしながら時間が許す限りカウンセリングを受けに行きました。スクールに行くと、本当にアナウンサーになりたくて頑張っている方が大勢居て、その姿勢に自分自身が本当に刺激を受けました。何度も諦めそうになった時も、永井先生やアナウンススクールで出会った人たちの励ましがあったからこそ、私はアナウンサーになれたのだと今でも思っています。また内定をいただいた時には、私以上に先生は喜んでくださり本当に嬉しく思いました。アナウンサーになるには、本当に努力が必要だと思います。しかしそれだけではなく、自分の良さを発揮するためにも人との出会いが大事なように私は感じます。アナウンサー受験を通して、永井先生や多くの人に私は出会いました。そのことで、自分自身が今まで気づくことのなかった強みや弱い面を多く知ることができました。そのことを知ったからこそ自分自身に自信が持つことができ、アナウンサーになれたように思います。永井先生、これまで本当に自分のことを信じて下さって本当にありがとうござました。これまで、たくさん指導してくださったことを忘れずにアナウンサーとして頑張って行きたいと思っています。
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倉見 慶子 【社会人】
今回、アナウンサーとして内定を頂いた放送局は、私が就職する4つ目の会社なのです。さらに私は社会人3年目。つまり約二年間で3回も転職したことになります。中学生の頃からアナウンサーを目指していた私は、大学3年生の現役の時にアナウンサーを受験。キー局はあっけなく敗退しました。名古屋・大阪と受けても内定まではいきませんでした。新幹線での日帰りを繰り返す、地方局受験に少し疲れてきた頃、大学の友人と一緒に受けてみた外資系証券会社に内定をもらいました。社会人になって働きながら受験してみようと思い、その証券会社に入社しました。(1社目)入社8ヵ月後次の就職先も決まっていないのに、証券会社を退社しました。それから3ヶ月間、就職活動を続けましたが、アナウンス学校にも通わずにアナウンサーを目指すという無謀な方法ではなかなか決まらず、3ヶ月以上職を離れていると就職活動にも不利になるという言葉のプレッシャーにも負け、その時点で決まっていた出版社に入社してしまいました。(2社目)さらにアナ受験を続け、スカイパーフェクTV!ビジネスチャンネルでキャスターとしての内定を頂き入社しました。(3社目)その出版社はわずか一ヶ月で退社しました。永井先生に出会ったのもこの頃です。アナウンスセミナーは、ホームページで知りました。スカパーの放送局受験の際、カメラテストがありました。それまで原稿読みやカメラテスト等なんの準備もしてなかった私は、アナウンス学校でカメラテスト対策をしてもらおうと、ホームページを検索しては様々なアナウンス学校に電話をして、カメラテスト対策をお願いしました。しかしどこの学校からも断られるか、あるいは「2時間で3万円」等の高額な授業料を提示されました。諦めかけていた頃、アナセミに電話。事情を話すと(永井先生)「どうぞ~いつでも来てください~」。(私)「え?授業料はおいくらですか?」(先生)「とりあえずは必要ありません」とのこと。それから藁にもすがる思いで、アナセミに行きました。あれから一年間。アナセミに通い、ついに長野の放送局から内定を頂きました。アナセミのドアの入り口で永井先生に内定を報告した時に、やっと内定が実感できました。今回改めて贈る言葉で自分のアナウンサーになるまでの道のりを書いてみて、私の人生なんてめちゃくちゃなんだー!と思います。行動が突発的で無謀。ありきたりな言葉ですが、こんな私は、永井先生なしではアナウンサーになることはできませんでした。私が某局の最終試験で落ちたとき、「これでよかったと思える日が必ず来ます」という先生の言葉が印象的でした。アナウンサーとして入社し、これからが本番。どんなことがあってもこの言葉を思い出して今まで以上に努力を続けたいと思います。
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小出 涼子 【社会人】
「人との出会いで、人生も変わってしまう」、ちょっと大げさかもしれませんが、それを実感したのが、私がアナウンサーになるまでの道のりです。現在27歳の私は、この冬、都内某企業の会社員からアナウンサーに転職が決まりました。アナせみに通っていなかったら、アナせみ生に出会っていなかったら、永井先生に出会ってなかったら、私は転職するまでにはなっていなかったでしょう。私はアナせみ生から、「好きなことを仕事にすることの幸せ」を考えるきっかけをもらいました。アナせみの存在は、アナせみに通っていた大学生が社会人である私に、「好きなことがあるなら、それを職業として目指したら」と進められて紹介されました。中目黒に顔を出し、永井先生に初めて会ったその日、在京キー局の試験に向けて、教室では大学三年生たちが先生からの指導を受けていました。「こんな世界もあるのかぁ」これが初来校のときの正直な感想です。どこかで、アナウンスを学びたいとは思っていましたが、まさかそのとき、自分がアナウンサーを本当に目指すなんて想像していませんでした。ただ私は、幸運にも永井先生の生き方や考え方に触れることが出来、心優しいアナせみの仲間が出来、27歳という年齢と状況が自分自身を考えるきっかけになったのだと思います。アナウンサーを目指した年齢が遅かったために受験可能な局が少ない、そんな仕方のない状況を何度となく悔いたこともありました。試験も最終試験まで進むと自ずと期待も膨らむからか、結果を聞いてその夜布団の中で悔し泣き、涙がとまらず翌朝出勤だというのに、コンタクトの入らない日もありました。でもここまで最終的に前向きにいられたのは、一緒に頑張ってきたアナせみのみんなから、「努力すれば夢は叶うこと、ひとりじゃなくみんなで目指す姿勢や、働きながらも楽しんでアナせみで学ぶこと」を教えてもらったからだと思っています。OBの方からは、業界の話はもとより、これからアナウンサーになる私にすばらしいアドバイスをかけてくださいました。非常に恵まれた環境にいたのだと改めて感じています。これからが、私のスタートです。昨日、お世話になる放送局の方たちが、わざわざ私のために休日を割いて一緒に住まい探しに同行してくれました。ありがたいことです。私は今、「東京を離れて働くのだ」と気が引き締まるのと同時にこれからのスタートが楽しみです。永井先生、引っ越しするまでアナせみに通いこれからも引き続き頑張りますので、どうか今後ともよろしくお願いします。
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河野 哲也 【1期生】
私は2003年4月から長崎の朝の情報番組(月~金)でMC・リポーターをさせて頂くことになりました。贈る言葉として、私が内定するまでの経緯を含めてお話したいと思います。私がアナウンスセミナーで学んでいたのは2年前になります。その時はきっかけがあって別の業界に進みましたが、2年経ってやはり放送業界で活動したい思い永井先生に相談したところ、チャンスを頂いて内定し、現在に至っています。前職の関係で長崎に移ったのは3月20日、そしてデビューが3月31日。2年前の学びしかない私に務まるのか?そもそもなぜ採用されたのか?そんな思いでプロデューサーに質問しました。するとプロデューサーは「声には人柄が出る、放送には顕著に表れる。あなたの性格が出たその声を、私は良い声だと思っています」とおっしゃってくれました。2年前、アナウンスセミナーで言葉の勉強をしました。正しい発声・発音を学び、不適切な言葉遣いを正し、表現の研究をしました。しかし永井先生が一番大切に養って下さったのが、人間性であり私らしい言葉でした。学んでいる時は学びに集中して忘れがちですが、自分らしい素直な言葉を大切にして下さい。それこそが自分の長所であり、存在意義になるはずです。まぁアナウンスセミナーで永井先生をはじめ、業界にいる多くの先輩や仲間達に囲まれていれば大丈夫でしょう!私はアナウンスセミナーが大好きです。全国に散らばる仲間、夢を持って努力する皆さんを誇りに想い、尊敬しています。もし長崎で試験などがある時はいつでも連絡して下さいね。何ができるかわかりませんが飯でもおごりますよ!
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郷間 翔 【9期生】
人前で話すことが苦手で、アナウンサー向きとはいえない私が内定できたのは、永井先生、本間さん、安達さん、先生方など多くの方々の支えがあったからです。大学5年の5月。内定を頂くまでに70社近く受験し、長丁場を支えて下さり本当に有難うございました。初めてアナセミを訪れたのは、大学3年の2月。 他業種を中心に受験していた私は、年明けの試験でスタジオを初経験。努力すればアナウンサーになれるかもしれない。希望を持ってアナセミの門を叩きました。そして、永井先生の元に足繁く通いました。永井先生を慕う、多くの先輩方・生徒の皆さんが来校し、真剣に学ばれている姿を見ると自然と気持ちが引き締まりました。お守りを下さったり、先輩方を紹介して下さったりと、お忙しい中、気にかけて下さった永井先生。それだけに、永井先生がご存命の時に内定のご報告ができなかったことは残念でなりませんでした。その後も、私は結果を残すことができませんでした。出口の見えない真っ暗闇のトンネル。60社を受験した大学4年の3月。大学図書館の近くで一人で泣き崩れ、心が折れかけた時もありました。それを救ってくれたのはアナセミの先生でした。内定を頂いた時の気持ちは今も忘れられません。そして受験中、9期、10期の同じ志を持ち、気持ちを高めあってきた仲間との日々は絶対忘れません。向き不向きより前向きに。精一杯頑張ってきます!
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越塚 優 【社会人】
私は疑っている。永井先生は実は魔法使いではないかと。馬鹿げている。が、しかしそんな想像をしてしまうほどに先生の持つ力は大きい。受けども受けども全く成果の出ない就職活動本番。現実逃避をするかのようにアナセミからも足が遠のいた。これだけ努力してもダメなものはダメ。自分の信念は立ち直ってはまた挫ける。そんな時、先生はすべてを見透かせているかのように電話をかけてくれる。少しだけ、勇気がでてくる。そんな折初めて自分に巡ってきた千載一遇のチャンス。自分以上に先生は信じてくれた。受かりそうな予感がした。この試験は先生を信じ、心中する気持ちで受けよう。先生からもらったアドバイスをもとに、普段の十倍準備した。次の試験、準備したものしか聞かれなかった。就職活動期間中、疑り深くなっていた私は先生の魔法を信じた。ただ信じてついていった。就職活動期間中、ようやく自分も他人も信じることができるようになった時、それは内定という形であらわれた。私は知った。自分にとって一番必要だったのは「信じる」ことだった。先生に会わなかったら、私はいつそれに気付いただろうか。よかった。本当によかった。いつでもどこでも先生の手は暖かい。そして、その暖かい手はいつもなにかを気付かせてくれる。先生私は思い出しました。そしてもう決して忘れません。本当に、本当にありがとうございます。
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小林 新 【3期生】
僕が永井先生と、そしてアナウンスセミナーと出会ったのは、内定を頂いたFM局の紹介からでした。「ここでちゃんと基礎から学んでこい」そう会社から言われ、アナウンスセミナーへ10月から通い始めた僕は、この場所で衝撃を受けたのを覚えています。真剣にアナウンサーを目指し、仲間同志、互いに切磋琢磨している生徒のみなさん、そしてそれを心から全力で支える永井先生。「本気でアナウンサーになりたい」という想いが、取り組む姿勢からビンビンヒシヒシと伝わってきました。真剣になりたいモノを目指すことというのは、とってもエネルギーが必要で大変だと思いますが、諦めずに「今ある自分が最高!」という気持ちで頑張って欲しいなと思います。僕は、ラジオの喋り手になりたかったので、テレビは一切受けずにラジオ関連のみに絞っていました。ラジオの新卒募集は数が少なく、毎日のように面接を受ける周りの人をみて、不安になることも常でした。右手で数えるほどしかない目先の面接日程。その一つにでも落ちたときは不安と、挫折感で一杯になりました。「絶対にアナウンサーになるんだ」という気合いが足りなく、弱音を吐く時期もありました。ですが、一時期から「僕はラジオだけなんだ」という気持ちをしっかりもつようになりました。どこかに落ちても、その落ちた後の「今」ある自分は何ができるのか、「今」目の前に広がる道が自分にとって最高の道なのではないか、「今」を常にゼロとしてスタートしよう。そう思うようになりました。それからの活動は、一つ一つ全力で、素直に等身大の自分を出せるようになれたと思います。全ての経験は自分にとってプラスになると思います。自分にしかない夢を、そして野望をしっかりと胸において、是非その夢をもぎ取ってください。アナウンスセミナーという場所は、そんなあなたにとって最高の環境だと思います。
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小林 恵子 【1期生】
常に低姿勢で、謙虚な心をもって一生懸命取り組むこと。これは言葉ではなくて、永井先生自ら示して、教えて下さったことです。それは、新潟でアナウンサー3年目を迎える今でも、とても役立っています。胸の高鳴りを抑えてアナウンサー試験に挑戦。しかしふたを開けてみると、落・落・落・・・・・・。何度先生に泣きついたことでしょう。その度に先生は、「小林さんは絶対いい仕事をするアナウンサーになります!!」と励まし続けてくださいました。忙しいのに、一人一人のエントリーシートを穴のあくまで丁寧に見てくださりました。生徒が内定をもらうと自分のことのように喜び、たくさんの仲間を呼んで、内定パーティーを開いてくれます。時には連日連夜のパーティー。私たち生徒にとっては忘れられない夜となるのです。永井先生を通じて出会った親友は全国各地で活躍しています。試験に向けて励ましあい、今では仕事の悩みを相談する強い絆で結ばれています。これからもアナウンスセミナーを通じてたくさんの後輩に会えることを楽しみにしています。
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小林 史子 【7期生】
大学3年の12月末、私は就職活動で知り合った友人の紹介で初めて東京アナウンスセミナーを訪れました。「アナウンサーになりたい!」という想いは強かったものの、思うように試験が進めなかったり、自分という存在に悩んだりもやもやとした不安に駆られている時期でした。しかし、アナセミに通い始めると不思議と気持ちが楽になっていったのです。ここにはいつも一緒にアナウンサーとして生きることを目指す仲間、頼りになる先輩方、そしていつも見守って下さる永井先生がいました。地方局受験の際、前日からホテルに宿泊し次の日の試験を前に心細いこともありました。そんな時、アナセミの仲間からの励ましの声や永井先生から頂いた写真つきのメールは私にとって何よりのお守りになりました。試験の当日も1人で受けているという感覚はなく多くの方々の支えの中に自分がいると感じていました。私は試験に落ちて悲しいときもアナセミに来れば前にすすむことができました。アナセミのみなさんには感謝の気持ちでいっぱいです。そして未熟な私にアナウンス技術だけでなく人として大切なことを教えて下さった永井先生、本当にありがとうございました。永井先生はいつも温かい言葉をかけて下さいました。つらい時期はその言葉に助けられ嬉しい時は同じ喜びを共有して下さることが何より嬉しかったです。『念ずれば花開く』永井先生がかけてくださったこの言葉のようにあせらず努力を続け、人との絆を大切にしていればきっとアナウンサーとしての道は開けてくるのだと信じています。
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小林 真樹子 【1期生】
拝啓、永井先生。お元気でしょうか?とはいっても今日もご無理をなさっているのではないでしょうか?お忙しいとは思いますが、お体を大切にして下さい。お願いします。先生の下を卒業して、もう丸2年になります。時間がたつのはとても早いです。おかげさまで今日までたくさんの素晴らしい出会いがありました。そしてこれかも日々もあると思ってます!そんな素晴らしい仕事をさせていただいているのも、すべては先生と会うことが出来たからです。私の友人や私自身、このようなお仕事をするなんで思ってもいませんでした。大学生の頃、部活に通うように毎日中目黒へ向かってました。いい先生の周りには、いい人達が集まるんですよね。先生のおかげで1期生の仲間にも会えました。ここにいたから、最後まで頑張れました。優しく、温かく、そして力強く見守ってくださった先生。私たちみんなの良さを引き出してくれた先生。心から心から感謝しています。もちろん楽しいことばかりではありませんが、あの頃の時間が力になるのです。手元にある写真を見ては初心を思い出しますし、先生やみんなとお話するとまた頑張れるのです。おかげさまで先生の生徒は全国で奮闘中ですよ。これからもたくさんの生徒さんたちのきっかけを作り続けるんですよね。先生、どうぞ、お体ご自愛下さい。
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今野 智美 【1期生】
「明るく、心を持って、一生懸命」試験の前に永井先生が必ず一人一人の手をとって言ってくださったこの言葉、今も本番や取材の前に必ず心の中で唱えるくらい、大切にしています。書類が通らない、面接で何を話していいのかわからないと八方塞がりでしたが、永井先生と出会って、光が見えました。発声、原稿読み、フリートークの練習も必要ですが、一番大切なことは普段の生活の中での「アンテナ感」です。それに気づいてからは、大学やバイト先、移動の電車の中でさえも、常にアンテナを張るようになりました。そうすると、今まで気づかなかったことが目に入ってくるようになったんです。「かっこいいことを言う必要なんてない、普段の生活で感じとったことを素直に話す」それができるようになってからはアナ受験が楽しくなってきました。結果がでないと落ち込むときもありましたが、アナセミに通うことで、不思議と「絶対、アナウンサーになれる」という気持ちになれたんです。一つ一つの試験にとことん付き合ってくださったり、落ち続けても「次は今野さんの番ですよ!」との励ましてくださる永井先生、そして、一緒にがんばってきた同期の存在。アナセミに通った1年半は私にとって宝物です。鳥取に来て3年目。今年度からは報道に配属され、毎日原稿を書いて、読むという記者兼キャスターを務めています。今思うことは、アナウンサー受験をしていたときの生活が糧になっているということです。永井先生との出会ったことで、アナウンサーになれただけでなく、社会人として大切なことを学ぶことができました。「明るく、心を持って、一所懸命」という姿勢が仕事をする上でこんなに大切なことなんだと、実感しています。アナセミには、そんなヒントがいっぱいありますよ!ただのマスコミ塾じゃないことに驚くはずです。今後もたくさんのアナウンサーが巣立っていくことを、心から願っています。
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