贈る言葉 (あ行)

東京アナウンスセミナー卒業生が後輩へ向けて贈るメッセージを紹介します。(敬称略)

浅田 麻梨乃 【3期生】

前略 永井先生、東京アナウンスセミナーの皆様、いかがお過ごしでしょうか。
 発声練習の声が響くアナセミのドアを緊張した面持ちでノックしてから早2年。私は今、アナウンサーとして慌た だしくも充実した日を送っています。毎日「頑張りましょう」と差しのべて下さった永井先生の手の温かみや、カウ ンセリングを受けるときの皆さんの真剣なまなざし、内定が出たときの心からの仲間の笑顔、涙・・・、アナセミで出 会った全てのものが私の中で息づき、今の私の原動力になっています。
 私がアナセミで学んだことは、アナウンスの基本的な技術にとどまらず、その夢に向かうまっすぐな力の大きさで あったように思います。何度も面接に落ち、自分が信じられなくなったり、周りの友人が内定をして焦燥感に駆ら れたりといったなかでも、「念ずれば花開く」という永井先生のお言葉が私の支えとなりました。どんな小さな夢で もそれを信じられるからこそ、人はいまを生きていけるのではないでしょうか。
 今度は私が、アナウンサーとして、そうした夢を追いかける人々の応援をしていきたいと思っています。アナウン サー受験を通じて、生涯の恩師・友と出会えたことに深く感謝しています。「一つ屋根の下」東京アナウンスセミナ ーが、これからも多くの人の夢を叶える入り口であり続けることを祈っています。              草々

追伸  また皆さんと朝まで庄やで語り合える日を楽しみにしています。

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有村 昆 【社会人】

 「自分がやりたいことは、今始めないと後悔する」一度しかない人生、思い切りやりたいことを貫く。
 やりたいことなのだから、どんなにつらくても出来るはず!常に自分に問い掛けてみてください。
 「私の夢」を「私の予定」と書き換えただけで、こんなに近づいた。千里の道も一歩から。具体的に今何をやるべ きか?です。
 「ヒューマンネットワーク」人生で一番大切にしたいモットー。この言葉を教えていただいたのは、もちろん永井先 生です。今正直僕は、永井先生のおかげで、喋り手という仕事が出来ています。本当に感謝の気持ちでいっぱい です。皆さんも今後社会に出て、いろんな方とお会いするでしょう。その出会いこそがあなたの人生を変えるので す。
 よき出会いを。頑張ってください、応援しています!! Good Luck!

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五十嵐 圭 【2期生】

 永井先生は、私に様々な受験の知識と、ある「雑誌」をくれました。...面接、いや、書類すら通らなくて落ち込ん でた時だったのですが...
 「PHP」の雑誌をくれたのです。そこには、既卒で何年も試験を受け続け、ようやく30歳の大台目前にしてアナウンサー になった方の話が載っていました。限りあるバックナンバーだったと思いますが、先生はそれを私にプレゼントしてくれた のです!そう、これはつまり、「粘り勝ちせよ!」との激励でした!
 それから、無事にコミュニティFMに就職。しかし、これでは自分の目標である「報道」が出来ない...!という事で、 私は再び永井先生の下で粘りました...。そのうちに実力も少しずつ付いてきていた様で、頑張って、粘って、時には のんびり構えて...。とにかく「あきらめない」という事を念頭に置きました。ダメなら次!気持ちの切り替えもすばやく!...
 そして2001年8月、高知のテレビ局内定。その時の驚き、嬉しさ、達成感は忘れられません。
 本当に、永井先生のお力添えのおかげでした。私が永井先生に頂いた一番大きなモノは、「不屈の精神」だったのです。 そして今は、夢にまで見た夕方のニュースのアナウンサーをしています...それはもう、「粘り勝ち」で掴んだマイクでした。
 あきらめたら、そこで終わりです。逆に言えば、あきらめなければそのうちチャンスと巡り会えるのです。この考え方は、 今は僕の人生の様々な場面で役に立っています。アナウンサーを目指す友人や後輩には、永井先生の連絡先を教えつつ、 こうアドバイスしています。
 「あきらめたらそこで終わり。粘ったら叶うよ。俺みたいなヤツでもアナウンサーになれるんだから、大丈夫」

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池村 祐美 【9期生】

 「向き不向きより前向き」「念ずれ花開く」と、アナ受験をしていた約1年半の間に何度自分に言い聞かせたかわかりません。
 私が始めて東京アナウンスセミナーの門を叩いたのは、大学3年の7月でした。アナウンススクールに通うにあたり、とにかく 色々なスクールを見学してからどこに行くか決めよう、と考えていました。しかし、一番初めに訪ねたアナセミで永井先生と出会い、 先生の考え方、そこにいらした先輩方の姿に心惹かれ、他のスクールを見ることなくそのまま入学していました。今思えば、 ここにも「ご縁」を感じます。
 私のアナ受験は順風満帆なものではなく、落ちて、落ちて、結局120社程の局を受験しました。とても辛く、苦しい1年半でした。 アナウンサーという、開くかわからない門を叩き続けることができたのも、永井先生がいらしたからです。
 永井先生は、落ち込み、迷う私にいつも「もう少しです。大丈夫です。」とおっしゃってくださいました。先生の「大丈夫です。」 は魔法の言葉で、本当に「大丈夫かも。」という気になるのです。なので、先生がお亡くなりになった後は、大きな心の支えを失い、 大丈夫と思えず、毎日不安の中にいました。
 そんな中でも頑張り続けられたのは、アナセミの"家族"である本間さん、安達さんを始め、同期、先輩、後輩、多くの方々に励まされ、 支えて頂いたからです。多くの皆さんの支えで頂けた内定ですが、その報告を永井先生に出来なかったことは、とても残念です。
 今、念願のアナウンサー職に就き、2ヶ月が経とうとしています。お世話になった永井先生、そして"アナセミの家族"への一番の 恩返しは、いつも明るく心を持って一生懸命頑張り、心ある話し手になることだと思います。私はアナセミで、アナウンサーになる 術よりも何よりも、"挨拶、気配り、フットワーク、思いやりの心"など、人として一番大切なことを、永井先生の生き方から教わりました。
 いつも謙虚に、素直に、先生に教わったことを忘れずに頑張っていきます。アナセミの家族の皆さん、これからもどうぞよろしく お願いいたします。

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石岡 愛美 【7期生】

 「もうどうすればよいかわからない」私は、アナウンサー受験の中で自分も目的も見失いそうになっていたとき、駆け込むように アナセミの門をたたきました。それまでたった一人で受験していた私にとって、共に励ましあい高めあうことのできる仲間の存在、 そして永井先生の存在は本当にかけがえのないものでした。言葉遣いも、心配りもままならない私を叱ってくださり、「大丈夫ですよ」と いつでも受けとめ励ましてくださった先生のおかげで、今の私があります。ここには、まっすぐにアナウンサーを目指すことのできる 素晴らしい環境があります。
 私は、最高の環境の中で自分自身と見つめあい、仲間や先輩方、そして先生から数え切れない多くのことを学ばせていただきました。 それはこれからも私の中で生き続けていくと思います。
 皆様、本当にありがとうございました。そして、これからもよろしくおねがいします。

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板倉 譲 【2期生】

 大学4年生の9月。アナウンサー受験を始めて1年が経とうとしていました。アナセミの階段を一歩一歩のぼると、 「あー」「あえいうえおあお」色んな声色が外に響いていました。入り口のドアを開くと、その声はさらに大きくなり・・・、 はっきり言って圧倒されました。奥からひょっこり姿を現した「優しい目をした男性」、その方が永井先生でした。先生にアナウンサーに なりたい気持ちを伝えると、「いっしょに頑張りましょー」その声は「受験疲れ」していた自分の襟をピシッと正して下さいました。
 12月に受けた大分県の放送局。最終試験に残っていたのは、男性5人。このうち何と、4人はともに受験を続けてきたアナセミの仲間でした。 その中で運良く、自分が内定をもらった時・・・4人ひとり一人が「おめでとう」と声をかけてくれました。"ともに最後まで競った人間に、 お祝いの言葉をかける"悔しさが邪魔をしてなかなか出来るものではありません。試験の舞台では、確かに競い合わなければなりませんが、 アナセミで本当の意味での仲間・友だちに、出会えました。アナセミは、そんな場所です。この場所を作って下さった永井先生に心から感謝 しています。
 今、大分に来て早一年。毎日、色んな方々にお世話になりながら取材する日々。「いつまでも教えていただく姿勢を忘れず・・・」先生の言葉を 胸に県内を走り回っています。東京に帰ったときも、思わず足は、中目黒へ。そんな、ふと立ち寄りたくなるアナセミは、私の「アナウンサーの原点」 です。

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一丸 えみ 【2期生】

 「もし受からなかったらどうする!?」面接に向かう新幹線の中で友人に言われました。でも私の心には、不安な気持ちは全くありませんでした。 やるだけのことはやった、という自信があったからです。そしてその日、私は内定しました。
 アナウンサーになることは幼い頃からの夢でした。しかし現実は厳しく、何度面接を受けても1次面接すら突破することが出来ませんでした。 「自分は本当に受かるのだろうか」という不安をいつも抱えていた私は必死になって毎日中目黒に通い、練習することでそれを取り除こうとしていたのかも しれません。でも、そこで得たものはつらいときも一緒に励まし、頑張り続ける仲間でした。彼らが見守っていてくれることが、私の自信につながったのかも しれません。
 「やりたい仕事をやれる人なんて、なかなかいないよ」いつも母が言っていました。しかし、こうして私が毎日充実した日々を送ることが 出来るのは、いつも支えてくれた心ある仲間や先生のおかげだと感謝しています。

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井上 貴博 【7期生】

 今までの人生で、野球しかやってこなかった私。そんな自分がアナウンサーになりたいと思い、東京アナウンスセミナーと出会ったのは 試験が始まる10日程前でした。きっかけは、大学のゼミの先輩からの紹介でした。正直なところ、いまさらアナウンサースクールに行っても 仕方ないだろうし、むしろ行かない方が差別化を図れる意味でも行くのは時間の無駄になってしまうのではないだろうかという気持ちでした。
 そんなことを考えつつTASに行ってみると、そこは物凄くアットホームな雰囲気で、生徒も明るく優しい方ばかり。皆さんのやる気と情熱、 教室の熱気に圧倒され、意識の高さに脅かされました。そして何より、永井先生の笑顔やおおらかな人柄に心底惹かれました。生粋の負けず 嫌いの私はその雰囲気に触発され、入った次の日からの合宿に飛び入り参加し、本当に色々と学ばせて頂きました。そしてこの合宿を通して 断固たる決意が出来た私は、その後も部活が終わってからお邪魔したり練習を抜け出してアナセミに来たりと、空いた時間を見つけて通わせて頂き、 出来る限りアナセミに行くようにしていました。
 今となっては、庄やさんでの即興フリートーク練習や面接対策が懐かしく思い出されます。試験中も、永井先生を始めアナセミの皆さんが後押しして 下さったお陰で、自分の実力以上のものが出せたのだと思います。内定を頂いた直後に連絡したのは、親でも友達でもなく、永井先生でした。
 今になって確信していることがあります。それは……アナセミに出会っていなければ、今の僕はないということ。僕の事を誘って下さった板垣さんと 永井先生はもちろんのこと、アナセミで出会った友達や先輩方のお陰です。皆様には、本当に本当に感謝の気持ちでいっぱいです。感謝して もし尽くせないほどです。誠にありがとうございました。そして、これからも一生を通してよろしくお願い致します。
 最後になりましたが受験生の皆さん、とにかく自分らしく自然体で精一杯ぶつかっていって下さい。世界に一人しかいない自分独自の"色"を 全面に出して、結果にとらわれず後悔のないように、今出来ることをぶつけて下さい。心の底から応援しています。

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今井 温美 【社会人】

 私が初めてアナセミを訪れたのは23歳のとき。社会人1年目の秋のことでした。当時、アナウンサーという仕事に関心をもっていたものの、 なかなか1歩踏み出せずにいた私。でも、このホームページの「贈る言葉」に背中を押されて、思い切ってアナセミへ見学に行きました。初めて お会いした永井先生は、まだ迷っている私に対して、アナウンサーとして生きていくには何が必要なのか、真剣に、具体的にアドバイスをしてくださり、 「一緒に頑張りましょう」と握手をしてくださいました。「私も永井先生を信じて頑張ればアナウンサーになれるのかな」と希望がわいてきて、 それから放送局受験を始めました。
 働きながら全国の放送局を受験することは、学生とはまた違う大変さがあります。職場とアナセミ、自宅の往復を繰り返す日々。時間を見つけては 発声練習や自己PRを考え、履歴書は数えきれないくらい書きました。面接会場へ向かう交通費を稼ぐため、休日もアルバイトを掛け持ち、少しでも 人前で話すことに慣れようと、街頭で雑誌などを配る仕事をしていました。試験の直前は、明け方まで面接対策をしてくださった永井先生。始発で帰って 数時間寝てから職場へ向かう日もありました。初めは書類審査もなかなか通らず、辛いなと思うこともありました。しかし、仲間と励まし合い、刺激し合い ながら夢を追いかけられることに幸せを感じていました。少しずつでも自分の進歩を実感できると嬉しくて、どんどん夢中になっていきました。
 もともと、努力があまり得意ではなかった私。でも、内定までのおよそ2年間、頑張り続けることができたのは、社会人や学生の仲間、現役アナウンサーの 先輩方がそれぞれの課題を見つけ、克服するために限りない努力している姿を間近で見てきたからです。そして、アナウンサーとして内定していく姿や テレビ・ラジオで活躍されている姿を見て、「いつか私も!」と思えたからです。先生方・先輩方のご指導があったからです。どんな時も私がアナウンサーに なることを信じて、全力で応援してくださった永井先生がいたからです。
 本当に感謝しています。伝え手として、これからも初心を忘れずに頑張ります。
 今、放送局受験中の皆さん。永井先生は「努力は決して裏切らない」と教えてくださいました。受験は決して楽なものではありませんが、そのときの 頑張りが、将来、自分の自信となり、自分を助けてくれるでしょう。合言葉は「明るく心をもって一生懸命」。一緒に頑張りましょう。

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植杉 尚子 【社会人】

 大学卒業後、印刷会社に入社しましたが、これが私のやりたい仕事なのだろうかと、ずっとモヤモヤしていました。思い切って退社しアナセミとは別の アナウンス学校に通い始めましたが1年以上勉強しても上手くいかず、また読みで変な抑揚が出る癖がついてしまいました。練習しても直らなくて、 もうだめかと思いましたが、やめる前に環境を変えてもう少しだけチャレンジしたいと、アナセミに通い始めました。
 アナセミには毎日のように行きカウンセリングを受けました。永井先生は、私のなかなか直らない癖にもさじを投げずとても親身に見てくださいました。 また、不安ばかりの当時は先生の「大丈夫ですよ~」と言う言葉に、どれだけ支えられたことか・・・。そして、3ヵ月後、石川県にある放送局から内定の 電話をいただきました。
 今私は、自分がやりたい仕事ができる、この喜びを噛み締めながら、「明るく 心を持って 一生懸命」という言葉を胸に毎日を過ごしています。私の人生を 切り拓いて下さった永井先生やアナセミの友人には感謝してもしてもしたりません。
 ありがとうございました。

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内田 直之 【1期生】

 「念ずれば花開く」。幼いころからプロレスが大好きで、古館さんや福澤さんの実況するプロレスをよく見ていました。アナウンサーになりたいと 思ったきっかけは、たぶんなんとなくだったと思います。熱く実況する古館さん、福澤さんの姿が幼心に「かっこよく」見えたのでしょうか。いつのまにか、 「自分はアナウンサーになるんだろうな・・・」。そう思ってました。小学生の卒業文集にも恥ずかしげもなく、「夢はアナウンサー」なんて書いてました。 高校時代は福澤さんに会いたい一心で、日本テレビの「おじゃマンモス」という番組から高校生クイズに出場しました。大学も福澤さんが出身だからという 理由で選びました。はっきり言って、単純馬鹿です。アナウンサー受験が始まり、いかに自分が「本当の馬鹿」だったか思い知らされました。
 受験する局、ことごとく面接落ち。いったい自分のどこが悪いんだ・・・自問自答する日々。精魂尽き、アナウンサー。あきらめようかな?そう思いかけた 大学4年の初夏のころでした、永井先生と出会ったのは。
 教室に入って、びっくり仰天!今まで見たこともない、世にも奇妙?な面接の練習をカメラの前でしている。何だ?これは!? 思い返せばアナウンサーという 職業への「憧れ」は人一倍持っていたつもりの私ですが。それに向けた「努力」をほとんどしていなかった。こんなに努力している人たちがいたんだ・・・ なんだか情けなくなりました。
 その日から私は狂ったように、中目黒の東京アナウンスセミナーに通いました。嫌で嫌でしょうがなかった自己PRも毎日、作り続けました。人と同じ自己PR では駄目だと考え、奇妙奇天烈なクイズ形式?の自己PRも作ったりしました。とにかく思いつく限りのことをやったつもりです。
 アナウンスセミナーの教室への階段を上るときは、どんなに辛くても『階段を1段抜かしで駆け上がる』。これは自分の中で決めた約束事。そうすれば、 やる気も不思議と沸いてくる。階段を1段抜かしで上りつづけて、およそ半年。鹿児島のテレビ局から携帯に電話。「うちで働いてくれませんか?」内定を 頂いた瞬間。涙が滝のように流れ落ちました。
 夢をあきらめかけた時、出会った永井先生。それからアナウンスセミナーで出会ったかけがえのない仲間。死ぬ気で頑張った、半年。すべてが私の宝物です。
 「念ずれば花開く」。本当に素敵な言葉ですね。

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江口 アミ 【9期生】

 私がアナセミを訪れたのは、インターネットで、この卒業生の贈る言葉を見たことがきっかけでした。全国にいる卒業生に信頼される永井先生は、 一体どんな人なんだろう、お会いしたいなと思ったからです。そしてすぐにアナセミの門を叩きました。驚いたのは、初めて会った私に本気で向き合って くれたことです。カウンセリングで、カメラの前で緊張しすぎて上手く話せず、先生は的確な指摘を本気でしてくださいました。先生の、人のために生きる 情熱はすぐに伝わってきました。そして、「大丈夫です、続ければ必ずよくなります。」と言ってくださいました。それから先生に指導してもらうように なりました。
 上手くいかない時には、教室で見つけた先生の言葉、「向き不向きより前向き」に、いつも励まされました。私はアナウンサー受験だけでなく、色々な 気の迷いから、興味のある様々な一般企業を受けました。その一般企業の面接の場でも、先生の教えがあったので自信を持って受け、内定も頂きました。 先生はその報告にも喜んでくださいました。
 ですが結局、アナウンサーやキャスターの仕事をしてみたいという気持ちも捨てきれず、今は番組のキャスターとして働くことが出来ています。
 私には後悔していることがあります。 先生にこの事を報告することが出来なかったことです。内定したら真っ先に永井先生に伝えたかった。 先生に最後にお会いしたのは去年、友人の壮行会が庄やさんであった日。先生は1日ご機嫌でいらっしゃいました。いつもより笑っているような…それからすぐ、 私が中国に行っているとき、普段電話がかかってこない同期から連絡がありました。東京に戻って、さあアナセミに行こうと思った時、同期に連絡をとりました。 すると先生が亡くなったと言うことを聞かされました。本当に信じられませんでした。今でもアナセミに行けば先生に会えるような気がしています。 でも先生にはもう会えないんですね。先生が亡くなって、一月半後に今の仕事場から内定を頂きました。この事を先生に直接会ってお伝えしたかったと、 今でも後悔しています。
 先生、遅くなってごめんなさい、そして本当にありがとうございました。
 アナセミの皆さん、これからもよろしくお願いします☆

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遠藤 里沙 【1期生】

 私の恩人、それは「永井譲治先生です」先生を信じて、どこまでもついていってください。必ずあなたの道は明るい光を放って輝きます!カナラズ! 今自信をなくしていたとしても、踏ん張って踏ん張って次へ進む一歩を、前を見て、力一杯踏み出して!! やらなきゃいけない事っていっぱいあるけど、 全て出来なくて不安になる事ってあるでしょ。永井先生のいるアナウンスセミナーは、そんな不安を吹き飛ばしてくれます。
 私と永井先生との出会いは、TBS、テレビ朝日の試験で自分を見失ったときでした。あのときは、自分の全てを否定された気分で一杯でした。先生のいる 場所は小さな教室で、はじめは「ここなの?」と目を疑いましたが、ドアを開けるとそこは全くの【別世界】。はじめてきたはずなのに、前からそこに いたかのように迎え入れてくれた仲間がいました。そして、優しさと思いやりに溢れた「温かい空気」に包まれていたんです。あのとき抜け殻状態だった私は、 そこに辿り着けたことで、もう一度自分というものを考えることが出来たんです。
 気が付いたときには、片道3時間半かかる田舎から、永井先生に会いたくて、同じ夢を追いかける仲間達に合いたくて、毎日通っていました。あの空間にいると、 何をするにも充実していて、安心できて、なぜか今までなかった自信が湧いてくるんです。笑顔にだってなれます。教室でやることは、試験に根ざしたことで、 無駄なことは何もありません。毎日が楽しいことばかりでした。救ってくれた先生、仲間達、みんな私の財産です。
 最後に、永井先生の情熱・愛は、今までこのwordsに書かれた私の仲間の言葉1つ1つから伝わってくるでしょう。これだけたくさんの仲間が永井先生を 中心に据えて、全国に羽ばたき、繋がっているんです。一人一人が「明るく元気に、心を持って、一生懸命」頑張っているんです。
 「愛のある学校」私は、永井先生のいる【アナウンスセミナー】が大好きです。

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大河原 あゆみ 【9期生】

 『すぐ隣にいる人を思いやれなければ、カメラを通して人を幸せにすることなど到底できない。』東京アナウンスセミナーでは、アナウンサーを 目指す以前の問題として、『挨拶・礼儀・心配り』を徹底的に学びました。
 私は3つのアナウンススクールに通っていましたが、発声や原稿読みよりも、アナウンサーになるためには絶対必要な『人間教育』をして下さったのは、 このアナセミだけでした。生徒は、教室内外に関わらず敬語で話します。スクールの電話は、鳴った瞬間にとります。来客の対応ももちろん生徒です。 敬語や対応に間違いがあれば、先生や先輩が親のように真剣に叱って下さいます。
 そんな環境ここで学ぶ生徒はみんな謙虚で努力家。受かることより、落ちることばかりのアナウンサー受験で最後まで続けられたのは同じ教室の同期や先輩、 後輩がいたからでした。でも、厳しいばかりではありません。年2回の合宿や、同期のお祝いはみんなで盛大に盛り上がります。共に泣き、共に悩んで、 共に笑う。足を引っ張り合うのではなく、応援しあってみんなで合格を勝ち取りにいくのです。ここで本当に深い深い『絆』が生まれます。
 『心あるアナウンサーを全国に・・・』創設者の故・永井先生の教えを胸に、今日も全国でアナセミ出身のアナウンサーが頑張っています。スクールでは、 後に続こう!と頑張る素敵な生徒が勉強しています。アナセミメンバーは年代関係なくみんな『家族』。今、アナウンススクールを探しているあなた、 是非アナセミの扉を叩いてみて下さい☆人生を変える素敵な出会いが待っていること間違いなしです♪

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大島 沙耶香 【社会人】

 自分の足元に広がる道。ふと、空を見上げると流れてゆく雲に薄いブルーの空。一体どこまで続いているのだろう、どこにたどり着くのだろう。 落ち込むと不安な心でそんな風に感じることがあります。しかし、必ずどこかに繋がっている、必ず誰かも同じ風景を見ている。
 私は今、北陸のとある土地でそんな風に実感しています。あの、辛く苦しい時、もう希望なんて見えないとさえ思ってしまったあの時に流した涙は、 "今"に繋がっていたのだから。
 大学時代、私は"アナウンサーに向いていない。なれない"という言葉をある場所で突き付けられました。それはとてもショックなことで、中学、高校時代から アナウンサーに憧れを持っていた私にとっては全てを否定されたようにも感じました。ですが、なりたい、という一心で活動を続け何とか地元の局で 働けることになりました。その部署はいわゆるアナの仕事ではありませんでしたが・・。働き始めて1年たった頃、漠然とした不安を感じ始めるとともに まったく満足していない自分に気付きました。
 "もっと仕事の幅を広げたい""やっぱりアナウンサーとしていろんな分野の仕事がしたい"と毎日思うようになったのです。そして学生時代にともに アナ試験を受け、希望の職種に就き生き生きと働いている友人達をうらやましく感じてしまう自分が嫌で嫌で仕方がありませんでした。自分の醜い部分と 向き合うことと、まだ夢を叶えていない、目標のスタートラインに立っていない自分を責める、ということを繰り返す日々でした。
 そんな気持ちでいた私を見て同期入社のアナウンサーの女性が"永井先生に会ってみない?"と、声をかけてくれたのです。これが、永井先生とのご縁の 始まりでした。この同期の女性は学生時代からアナウンスセミナーに通っていた1期生でした。
 初めて永井先生とお会いしたのは初夏で中目黒の庄屋さんでした。のれんをくぐって左手奥のテーブルに永井先生は座ってらっしゃいました。初めてお会い するのに、私の話を本当に真剣に聞いてくださり、別れ際に"いつでも連絡ください。がんばりましょ~"としっかりと握手をしてくださいました。そして季節は 移り秋になり私はアナウンスセミナーに通うことを決意しました。
 地方で働いていたので休日のたびに早朝新幹線で東京に向かい、最終間際に帰る、ということを繰り返しました。私の人生を導いて下さった永井先生は このときもすごい決断をしてくださったのです。私が会社を辞めてもう一度アナ試験に挑戦するか、辞めないか、という決断です。当の私もどうしたらいいのか、 何をしたらいいのかわけがわからなくなっていたので、とにかく早く楽になりたいなどと思ってしまっていました。すると永井先生は"もうしばらく考えさせて ください。とても大切なことなので考えさせてください"と、まるで自分のことのように神妙になって数週間も考えてくださったのです。
 結果、"辞めてもう1度勉強しましょう"というお言葉でした。私は聞いたとたん感激の涙が止まらなくて思わずへたりこんでしまいました。
 3月いっぱいで会社を辞めて、5月に東京に本格的に移りました。中目黒に少しでも近く、安い所を、と思っていましたら永井先生が"渋谷の不動産屋さんに よさそうな物件が貼ってありますよ~"と住む場所まで気にしてくださり、結局そのアパートにしました。菊名の築35年のアパートでした。
 毎日アナセミに通いながら地方局受験をスタートしました。アナセミに行くと必ず永井先生がいてくださって笑顔を向けてくださり相談に乗って くださいました。不安で不安でどうしようもなかった私にとってどんなに励みになったでしょうか。永井先生はいつだって生徒のことを第一優先で考えて くださるのです。私達がどんなに先生自身のことを考えてください、と言っても先生は私たちひとりひとりのことを考えてしまうのです。それが永井先生 なのです。
 新卒でない私が受けることのできる地方局はそんなに多くはありませんでした。落ち続けていたある日、ふと"もしかしたらアナウンサーなんて一生 なれ
ないのでは"という思いに襲われました。今まで張り詰めていたものが切れてしまい涙が止まらなくて不安でどうしようもなくなりました。永井先生に その気持ちを話しました。すると、"大丈夫ですよ~、あの、大島さん、絶対なれるので、そんな事を気にしている時間がありましたら、原稿読みの練習を もっとしてください~。そっちのほうが大事ですよ~。"と、にこにこしながら、ぽん、と私の肩をたたきおっしゃったのです。
 私の中で何かが前進しました。この事があってからとても前向きな気持ちになることができ、絶対アナウンサーになるのだからその準備だと思えば、 くよくよしている場合じゃない、と思うようになりました。
 ここには書ききれないくらい、私は永井先生に救っていただきました。
 "向き不向きより 前向き" "アナウンサーになるには才能ではなく、努力です" 私が大好きな永井先生のお言葉です。私は今、福井県のある局で アナウンサーとして働かせて頂いています。アナウンサーである前に私達は人間です。ひとりの人として社会の中で相手に思いやりを持っていけるように ご指導下さった永井先生に大変感謝しています。
 永井先生、どうぞお体を大切になさってください。そしてこれからもよろしくお願い致します。

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大原 裕美 【1期生】

 「アナセミに通っていなかったら今の自分は絶対にない」永井先生に出会ったすべての人がこう思っていることでしょう。事実、私の職場の机の 引き出しには、内定を祝って開いてくれた会で、満面の笑みで「内定オムレツ」を掲げる自分の写真が入っていて、くじけそうになるとそっと取り出します。 そのたびに「頑張りましょー!!」と、どんな時にも広い心で励まし続けてくれた永井先生の姿を思い出し、乗り越えてきました。
 アナウンスセミナーでは、アナウンスメントの技術だけでなく、逆境にくじけない根性と、親身になって話を聞いてくれる仲間を得られます。全国各地で 同じ志をもった仲間が活躍している。そんな事実がアナウンサーとしての私の原動力であったりします。
 地元・静岡の放送局に入社して3年目。いろいろなことがありますが、アナウンサーは素晴らしい仕事です。これからもアナセミから次々と後輩たちが はばたいていくのですね。同じ職場で、ブラウン管を通して、あなたの活躍を楽しみにしています。

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奥平 邦彦 【社会人】

 私は30代になってから、希望していたアナウンサーという職業に就くことができました。私自身にとって本当の勝負はこれからですが、これまでお世話に なった永井先生、そして講師の方々には、心からの感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。
 アナウンスセミナーに通う“既卒"の生徒、つまり社会人にとっては、現役生と同じレベルで情熱とパワーを夢の実現に向けて持ちつづけることは実は 簡単なことではありません。年令のハンデもあり採用の門戸は限られます。仕事があるため授業への出席も不定期になりがちです。スケジュールをやりくり しながらトレーニングし、モチベーションを維持していき、決してあきらめず、タイミングを待つ忍耐力も問われます。私は上記のハードルをクリアしたから 志望の職種に就けた、と自信を持って言うことはできません。ハッキリ申し上げて自己の貢献度は10%くらいで、残りの90%は「永井先生と講師の方々の適切な アドバイスとサポート」に負うところが大きいと思います。特に永井先生は、アナウンスセミナーへ行けない時期が続いても、たまに顔を出した私をいつもと 変わらぬ優しい笑顔で迎えて下さいました。そして常に前向きに接していただき、手を取って、私の顔をじっと見て「頑張りましょう」と励まして下さいました。
 ビデオカメラの前で行う自己紹介と仮想面接、そしてそのテープを再生しながら、永井先生による適切で的を得たアドバイス、、、、あのカウンセリングは 間違いなく、受講者にとってアナウンサーだけでなく全ての企業での採用面接において役に立つトレーニングです。自分自身の紹介、そして志望動機を わかりやすくハッキリと伝える能力は、どの業界に行こうとも必須だからです。実際に受講生の方達が、放送業界だけでなく他業界の一流企業に 就職しているのも当然の結果だと思います。
 自分を棚に上げて大きなことは言えませんが、それでも敢えて言わせていただくと、社会人として通われているアナウンスセミナー受講生の方々は、 「永井先生に任せていれば安心」という頼り切った受動的な気持ちではなく、日々の発生練習、読みの練習、そしてアクセント辞典を常に授業に携帯するなど、 自分なりの自己研鑽と努力がある程度必要だということを常に意識しておくべきです。その努力と、覚悟さえ決めていれば、社会人として積んできた経験を うまく自己アピールと志望動機につなげ、高いモチベーションを維持し続けてさえいれば、永井先生、そして講師の方々が、きっと手を差し伸べて下さいます。 アナウンスセミナーを通じて知り合うことができた方達のご活躍と、アナウンスセミナーの更なる発展を祈っております。そして何より私自身もスキルアップして 早く成果を出していきたいと思います。
 永井先生、お体にお気をつけて下さい。そしてこれからも恩師としてお付き合いさせて下さい。よろしくお願い致します。

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小田 正実 【3期生】

 永井先生に出会っていなければ絶対にアナウンサーになれなかったと思います。
 アナウンサーの就職活動をはじめて1年3ヶ月尊い内定を秋田の放送局から頂きました。それまでの間永井先生には精神的に助けていただきました。 なかなか内定が頂けず、一般企業を受けそちらの方から内定を頂きました。今までアナウンサーという仕事しか見えていなかった私ですが、1つの内定が 心を動かしました。もうアナウンサーを諦めようか…。真っ暗闇の中でもとにかく前へ前へと進んできたけれど内定はつかめない。諦めたら気持ちは 楽になるけれど、諦めたくても諦められませんでした。毎日が辛く、精神的にボロボロになっていきそうでした。
 しかしアナウンスセミナーに行くと先輩・同期・後輩・そして365日1日も休まずカウンセリングをして下さっている永井先生の姿があります。ここで諦めては いけない!みんなの姿が心の支えでした。そして一般企業の内定を辞退し、永井先生にそれを伝えたところ、いつもの倍の力強さで私の手を握り『大丈夫です! 絶対アナウンサーになりますよ』と言って下さいました。
 それから3ヶ月後、夢だったアナウンサーとしてのスタート地点に立つことが出来ました。先生と出会い、1つの言葉に心を込めるというアナウンサーとして、 人として大切なことを先生の言葉から教えていただきました。先生は決して飾った言葉を使いません。本当に普通の言葉でもその中には、話している相手の ことを一番に考え相手を思っている気持ちが伝わってきます。どんなに下手な伝え方でも、言葉に詰まってしまっても、心を持って話せば必ず相手に伝わります。 それを考えたら面接も少し気が楽になると思います。そして自分の思いも必ず面接官に届くはずです。
 これからアナウンサーとして新しい生活がスタートします。しかし私の心はひとつ屋根の下、アナウンスセミナーにあります。ここで学んだことは 一生の宝物です。
 先生、先輩方、そして同期と後輩のみんな、本当にありがとうございました。

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